富士山がユネスコの世界文化遺産に登録されたのは2013年6月。その決定に一役かったといわれる北斎さんの「冨嶽三十六景」シリーズの1枚です。さて、この絵に富士山が見えないのは何故でしょう。
7人の菅笠と北斗七星
葛飾北斎さんの「冨嶽三十六景 諸人登山(もろびととざん)」は、シリーズ46枚の中で唯一、富士山の美しい山容がどこにも描かれていない作品です(①)。天保2年(1831)頃、北斎さんが古稀(70歳)過ぎに描きました。
この浮世絵に描かれているのは、お江戸からやってきた30人ほどのアルピニストの皆さん。髪をおろし、菅笠(すげがさ)姿で頑張って登ってきたのです。富士の姿が見えないのは、富士山そのものの山頂辺りを描いているからです。
ところで、憧れの富士山、夢の富士山を登っているのに、皆一様に暗い表情で笑顔がありません。何故楽しんでいない? 喜んでいない? そう、お江戸の富士登山は修行です。そして寒いのです、とっても寒いのです。日の出前は、気温が下がり、火もありません。お山の空気はしっかり冷えています。東の空がうっすらと淡いピンク色に描かれています(②)。夜明け前、ご来光はもうすぐ。みなあの神々しい陽の光を待っているのです。
さて、洞窟のような、岩室(いわむろ)のようなところに、ザンバラ髪の人たちが身を寄せるようにして集まっています(③)。当時、富士山を聖なる場所として信仰する「冨士講」が大流行。「江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講、江戸に旗本八万騎、江戸に講人八万人」といわれたほどです。この方々は、その富士講の仲間から選ばれた特別な人たちなのです。