真っ白な富士山と静かな駿河の海。清々しい絶景でありながら、切り立った険しい断崖や折れ曲がった荒々しい松の枝は何を意味するのでしょうか。
日本一高い山と深い海
歌川広重さん(⑧)の「東海道五拾三次之内 由井(ゆい) 薩埵嶺(さったれい) 」(①)が描かれたのは、今から180年程前の天保4~5年(1833~34)の頃。薩埵嶺とは薩埵峠のことで、お江戸と京都を結ぶ重要な街道「東海道」の由井宿と興津(おきつ)宿の真ん中あたりに位置し、今の静岡県静岡市清水区あたりです。その昔、この付近の海から網にかかり引き上げられた有難い「薩埵地蔵さま」を山頂に祀ったことから「薩埵峠」と呼ばれるようになったとか。
山が海へせり出すような地形で、海岸の道は荒波にさらわれるくらいの危険な場所として、東海道の中でも1、2を争う難所でした。一方、富士山と駿河湾が一望のもとに見渡せる(②)峠越えの道は、またとない人気のビューポイント。旅人たちはおっかなびっくり、この絶景を楽しみました(③)。峠から眺める富士山の右肩には、宝永4年(1707)に起きた宝永大噴火の大きな火口、「富士山のえくぼ」が見えるはずですが、広重さんはあえてきれいな富士山のスロープを描いています。
峠越えの道は、幕府が朝鮮通信使※を迎えるために整備し開いたともいわれています。波が洗う海岸は、幕末の安政の大地震により、海岸線が隆起し現在のように少し広めになったということです。そこが今では東海道本線、国道1号線、東名高速道路が通る物流の大動脈に。このポイントには、テレビ局の定点カメラや静岡市による映像中継「薩埵峠富士山ライブカメラ」が設置され、まさに浮世絵と同じアングルの動画が24時間常に配信されています。
※江戸時代に朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節。将軍の代替わりなどの際に親書を携えて来日し、学問や文化の交流も深めたといわれる。