とびっきり大きな丸い桶造りに励むのは、どこのどんな職人さんでしょうか? 円の中に描かれた三角は、富士山?ずいぶん小さく描かれています。
北斎さんと広重さんの描いた富士
葛飾北斎さんの「冨嶽三十六景(① ※1)」は、富士山を360度の角度から描いた代表作。シリーズの中でも「尾州不二見原」は、富士山が一番遠くに描かれた作品(②)といわれ、通称「桶屋の富士」として親しまれています。
桶の中に富士を入れるとは、さすが北斎さん、この絵は天保2年(1831)頃、70代前半の作品。このシリーズにより、彼は風景画、富士山の絵師として不動の地位を固めました。あまりの人気に、版元・西村永寿堂は36枚に、さらに10枚を追加して、46点の富士山浮世絵を刊行しました。この46景の富士山は今も世界中の人々を魅了しています。
鮮やかな藍色、いわゆる「ベロ藍」がふんだんに使われているシリーズです。空の拭き下げぼかし(※2)も見事です。背景には「点描画法?」(③)も使われていますが、ヨーロッパの印象派より前に用いていたのでしょうか。
ここ「不二見原」は愛知県名古屋市の富士見町とも旧・伏見町ともいわれていますが、この辺りからは、間に山があって富士山は見づらいとか。北斎さんは五十代の頃の旅のスケッチブックから、一番遠景の富士山を思い起こして、尾州の富士を描いたのでしょうか。
勝手な思いを馳せますが、京都・伏見の桶造りの職人さんが、その伝統の技術を買われ、この尾州の地に移り住んで造ったのではと。そういえば、愛知県半田市には文化元年(1804)創業の醸造酢で知られるミツカンの本社があり、そこからは富士山が見えるとも……妄想は膨らむ一方です。
*1 北斎は生涯に30回改号し、「冨嶽三十六景」では為一(いいつ)を名のった。ただ「北斎改為一筆」と、北斎の名を残したのは、売れ行きを心配した版元・西村永寿堂の苦心の跡だという。
*2 摺師(すりし)が水分の調整で上から下へ濃い色から薄い色へと変化させてぼかす高度な技術。