今なら「ミス日本」。歌麿さんがお描きになった江戸の美人画です。彼女たちの実名が添えられたこの傑作は、「寛政の三美人」として親しまれています。
「当時三美人」――Three Beauties of the Present Day
美人画といえば、やはりこの方、喜多川歌麿さん。代表作のひとつ「当時三美人」は「寛政の三美人」とも称され、寛政5年(1793)頃に描かれました(1)(11)。出版プロデューサーである版元の蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)さんと組んで世に放った人気作品です。
この三美人とは、寛政期に実在した評判の美人娘で、今でいう人気アイドル。富本豊(とよ)ひな(2)、難波屋きた(3)、高しまひさ(4)三人の大首絵※です。豊ひなちゃんは、新吉原の玉村屋お抱えの芸者さんで、浄瑠璃・富本節の名取でもありました。おきたちゃんとおひさちゃんは水茶屋の看板娘。おきたちゃんは浅草・浅草寺、随身門(ずいじんもん)(今の二天門)脇の水茶屋「難波屋」でファンが多く、おひさちゃんは両国・薬研堀(やげんぼり)の水茶屋で、お煎餅屋の父・髙島屋長兵衛が兼業する店を手伝っていました。
※人物をバストショットで描いた絵のこと。ブロマイドなどでよく使用され、写楽の作品に多く見られる