しかし、こうした声に対しては疑問を抱かざるを得ない。根本的な考え方として、観光事業は税財源で手当てすべき公益事業なのであろうか。例えば入湯税などは、地域全体が保有する資源である温泉や景観を活用して事業を行うために、事業者が旅行者から税を徴収し、それは広く市民の社会福祉のために活用される。
欧州におけるオーバーツーリズム問題をみても、観光地域に住む生活者は観光産業によって混雑コストをはじめさまざまな負担を強いられる。観光産業は一部事業者の共益事業であって、公益事業ではないということを認識しなくてはならない。つまり、観光税や入湯税は、観光産業が活用するのではなく、観光客が利用する市内インフラの消耗や生活者の生活負担を軽減するのに使われるのが当然であるはずだ。
地域経営的視点に立てば、観光客が来てかかるコストを、観光客が支払う観光消費とそれを通じて増える税収が上回らなければ、観光客が来れば来るほどに地域は疲弊していくのである。
しかし、この非常にシンプルな原理原則は抜きに、結局はDMOも自活する仕組みではなく、税依存型の仕組みを目指してしまっている。観光税など税金が固定的に観光産業に入ったとして、それは地域にとって明るい未来を作ることにつながるのだろうか。
時代を遡(さかのぼ)ると、総合保養地域整備法(リゾート法)により誕生した第三セクターなどの多くが、税財源に依存して観光事業に取り組んだ。しかし、それらの事業者は行政からいかにして財源を確保するかに躍起になったことで、経営に失敗した。例えば宮崎のシーガイアは、投資分の回収ができないまま、二束三文で民間に買い取られた。それでは、一部民間事業者に膨大な税金を投入したのと変わらない。
税金による観光事業の失敗でいえば、15年6月に開園した山梨県南アルプス市の「完熟農園」の事例もある。同市は整備費など約11億円を投入し、第三セクター運営の観光拠点施設として「完熟農園」を開設した。狙いは完熟した果物を食べに来る観光客を集めようとするものだったが、売上は想定の半分に届かず一年足らずで破綻した。狙いこそ間違っていないが、営業力や経営力が伴わない運営者に多額の税金を渡したがゆえの失敗だった。
DMOの推進でこうした教訓は生かされているのか大変不安になる。目的が崇高であり、狙いが間違っていなくても、経営が伴わなければ破綻する。最初に計画を作り、使いたい予算規模を描いた上で、その予算規模を回すのに適当な財源を探すというのは物事の流れが逆行しており、経営感覚があるとは全くもって言い難い。