2024年4月26日(金)

明治の反知性主義が見た中国

2020年2月16日

「支那国は滅びても支那人は滅びず」

 個人的であるから「自らを恃み(たのみ)、自ら立つでなければ生存出来ぬ」。国家の力も社会の保護も全くアテにはならないし、アテにしてはいない。そこで「独立自営で世を渡らんと」し、「如何なる苦痛にも耐へ、如何なる賎業をも辞せず奮闘する」。「本邦人は団体(国家、家族)の力によりて成功し、支那人は個人で成功せんとする」。「見るも危険なる仕事をなして死して悔いぬ」ような「状態にて支那人は世界各地に拡がり、偉大なる蕃殖力を有つて居るのである」。その「偉大なる蕃殖力」があればこそ、「支那国は滅びても支那人は滅び」ないのである。

 国民性について様々に論じているが興味深いのは、佐藤が「著しいのは気の弱い事である」と指摘している点だ。

 「何故に彼の如く弱いか実に不思議」だが、たとえば「戦争をやれば大旗を立て太鼓を叩き景気をつけてやるが実は将卒共に戦ふ気はない」。いざ戦争とは掛け声ばかりで、「実は戦ふ気はなく、うまい処でよい条件で媾和する為にするが多い」のである。

 では、なぜ戦争に弱いのか。その一因は「国家組織に帰すことが出来る」。だが、「平時に於て弱い原因」は、「利己主義」と「法律の不完全」さに求めることが出来そうだ。つまり強い態度を示したところで「利益にならぬと悟つ」ているからだが、根本を考えれば「四千年の曲折ある歴史」にあるといえるだろう。それというのも興亡が重なり、天変地異の打ち続く彼らの歴史を前にして個人などムシケラ以下であることを知ってしまえばこそ、時代の流れには逆らわないのであろう。

 「よく諦めるといふ事」も彼らの性質として挙げられる。たとえば車夫が「車賃を強請る時は満面朱をそそいで来る」が、「此方にて大喝一声し、迚ふる見込みなしと見れば」、さらりと諦めて引き下がる。どのように強がろうと、ダメと悟るや諦めてしまうのである。

 佐藤は国家について考えた。

 「孔孟が禅譲放伐を認め、易姓革命を認め、(中略)寧ろ善と認めている国柄であるから」こそ、力を持った「一英雄、一民族が起つて海内を征服して国を建つれば」、征服された大多数は「武力に畏れて屏息す」る。だが、それは「力に負けたのであるから」でしかなく、だから「力を得れば叛逆」してもよいわけであり、「叛逆の権利は万民之を有す」るのである。

 そこで現に自分たちを支配している「朝廷の何時か滅ぶべき事は何人も信じて居る」ゆえに、苛斂誅求・暴虐政治に耐えても新しい朝廷の出現を待つことになる。ならば共産党王朝も「毛」から「鄧」、「江」、「胡」を経て現在の「習」へと、典型的な易姓革命を演じていると考えられないこともない。

 「国内には相反目せる数多の異民族を包括する」が、「征服者と反政府者との勢力」のバランスの上に「表面の平和を得ている」。そこで「実にお気の毒の次第である」が「君臣の分が明瞭に定ま」らず「君を神聖視」することなく、「君を厄介視して居る」。「国民は悪魔除に税金を払ふといふ心持で払ふのである」。かくして「『政府は人民を保護するもの、』『官吏は人民に便利を与ふるもの、』などとい観念は、彼等の念頭にはない。唯害をなさなければそれで十分であると思つているらしい」のである。

 「官吏は人民の利益を図るなく、職務に対する誠意を缺いて官職を我利のためにし、偶事業を起せば私嚢を肥すに足るべき事業である」。「支那の官吏の行爲は、それは言語道断である」。だから「人民は決して官の保護にたよらない」。

 とはいえ彼らには彼らなりの事情がある。じつは同情したくなるほどに薄給だから、「賄賂を貪り官金を私するは役徳であるとして平気でやる」。そこで「三年在職すれば三代は楽に暮らせる」。かくして人民に「不平を言はせぬ様に誅求するのが腕利きの官吏」ということになるわけだ。さらにいうなら「官吏に休日なく又遊覽することが出来ぬ事になつて居るが、それは不規律なる支那人に守られているのではない。唯表面である」と。

 毛沢東は「為人民服務(じんみんのために働け)」を掲げたが、彼の政治は人民に塗炭の苦しみを舐めさせるだけだった。じつは毛沢東の記した「人民」の2文字は「俺サマ」と読むべきなのだ。つまり「為人民服務」は「俺サマのために働け」だったではなかったか。

 20世紀中国有数の皮肉屋で知られた林語堂は『中国=文化と思想』(講談社学術文庫 1999年)に、中国人は「勧善懲悪の基本原則に基づき至高の法典を制定する力量を持つと同時に、自己の制定した法律や法廷を信じぬこともでき」る。

 「煩雑な礼節を制定する力量があると同時に、これを人生の一大ジョークとみなすこともできる」。

 「罪悪を糾弾する力量があると同時に、罪悪に対していささかも心を動かさず、何とも思わぬことすらできる」。

 「革命運動を起こす力量があると同時に、妥協精神に富み、以前反対していた体制に逆戻りすることもできる」。

 「官吏にたいする弾劾制度、行政管理制度、交通規則、図書閲覧規定など細則までよく完備した制度を作る力量があると同時に、一切の規則、条例、制度を破壊し、あるいは無視し、ごまかし、弄び、操ることもできる」と記し、これを「民族としての中国人の偉大さ」であるとしている。

 佐藤は「支那の官吏の行爲」が徹頭徹尾に「言語同断」であると論じているが、それが決して過去ことではなく、21世紀初頭の共産党独裁下の現在においても一向に改まってはいないことは、これまた論を重ねる必要はないはずだ。

 やはり「民族としての中国人の偉大さ」は、日本人にとって永遠の謎なのだろうか。

■佐藤善治郎(明治3=1870年~昭和32=1957年)は千葉県生まれ。代用教員を経て千葉師範学校を卒業し教壇に立った後、東京高等師範学校に学び、神奈川師範学校で教師に。横浜高等女学校、横浜実科女学校、精華小学校などの創立に参加している。

なお引用は『南清紀行』(良明堂書店 明治44年)に拠る。

  
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