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2020年2月14日

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永井隆 ((ながい・たかし))

ジャーナリスト

1958年群馬県桐生市生まれ。明治大学卒業後、東京タイムズ記者を経て、1992年にジャーナリストとして独立。雑誌や新聞、ウェブで精力的に執筆する。著書に『移民解禁 受け入れ成功企業に学ぶ 外国人材活用の鉄則』『EVウォーズ』『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』など。

すぐに去ったブームを乗り越えた奇策

 もともとクラフトビールに参入したのは、祖業である日本酒の需要が落ち込んでいたためだった。特にバブルが崩壊する90年代に入り、日本酒の安売り合戦が起きて、利益は落ち込んでいった。

 そこで、当時の”地ビールブーム”に乗って従来の酒造りの技術を生かして参入したが、ブームはすぐに萎んでいく。

「設備投資を回収できなくなる、と必死でした。一番苦しい時期でした」と木内。こんな苦境を経験したが、輸出が活路となった格好である。

 実は97年から現在まで、国際的なビールコンテストで多くの受賞歴があり、これがきっかけでグローバル展開できた側面はあった。これは、かつてホンダがバイクや自動車のレースに勝ち、世界に商品とブランドを訴求させていった手法にも重なる。

「ビールは決して酸化させてはいけない。衛生管理はもちろん、残存酸素の管理が重要になる。同じ醸造酒でも日本酒やワインとは違う点です」(木内)と指摘する。

 地ビールブームが早い段階で萎んだ理由のひとつは、「美味しくないビールが出回ったため」(大手ビールメーカー)。酸素管理ができなかったメーカーもあり、その多くは早い段階で撤退していった。

 酸化させないために高額な設備が必要であり、同社は大手ビール会社と設備の基本構造は同じ。なので、常陸野ネストビールは常温でもトラックによる流通ができる。

「クラフトビールは、つくり手の思いや考えを消費者に伝えていくもの。大手は少品種を大量生産するのに対しクラフトビールは多品種少量で生産しています。しかし、あくまで装置産業であり、稼働率を上げることを基本としたモノづくりであるのは、当社も大手も変わらない」(同)

 ちなみに、94年に国が最低製造数量を年60キロリットルとして、地ビール解禁をしたが、それまでの最低数量は年2000キロリットルだった。年間2300キロリットルを生産する同社は、既にかつての枠を超えている。

 大手5社による日本のビール類市場は昨年までに15年連続して減少した。唯一、クラフトビールのカテゴリーだけは伸びてはいる。

 しかし、木内は指摘する。

「学校給食の影響なのか、日本ではみんなで同じものを食べる文化ができています。しかも、食べ物にお金をかけない。このため、とんがった商品は日本では受けません。食事にお金をかけても楽しい時間を過ごそうとするアメリカやヨーロッパ、あるいはタイなどの国々の食文化には、ほど遠い。なので、クラフトビールは日本の食文化の壁に跳ね返されてしまいがち」

 このため、キリンビールが17年から展開する簡易型ビールサーバー「タップマルシェ」に商品を供給しているが、キリンに期待する部分は少なくない。キリンビール企画部の山田精二部長は「16年の段階から、タップマルシェの開発に木内酒造は深く関わっていました」と話す。

 一方で、常陸野ネストビールを提供するレストランも展開中。現在、醸造設備をもつ秋葉原店など23区内に3店舗、茨城県内に4店舗を出店している。東京オリンピック開催までに、23区内に2店舗の新規出店をしていく。

 このほか、ウイスキー蒸溜所を建設し、蒸溜酒事業にも参入している。16年に蒸溜を開始し、19年には「常陸野ハイボール」(350ミリリットル缶・税別350円)を発売した。また、昨年12月にはJR秋葉原駅近くに蒸溜機のあるクラフトジンの店舗「常陸野ブルーイング東京蒸溜所」を出店している。ちなみにクラフトジンはいま、ロンドンで人気を博している。同じ蒸溜酒でも、ウイスキーは樽熟成に最低でも5年程度の時間を必要とするが、ジンならば蒸溜後すぐに販売できる。

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