クラフトビールは日本のモノ作りを変えるのか
2020年1月、ウイークデイの昼下がり。氷雨が降り始めた代官山。駅近くにあるスプリングバレーブルワリー(SVB)東京を訪れる。茶色い扉を開けて中に入ると、仕込み釜が目に飛び込む。1階の客は15人ほど。60代は筆者ともう一人ぐらいで、20代から30代と覚しき人が大半。一人でビールを飲みながら洋書を開く外国人がいれば、カウンターでは20代に見える若者が一人でビールを楽しんでいる。女子大生風の二人組は、ランチの続きなのかコーヒーでおしゃべりを続けていて、テーブルにビールグラスはない。
たまたまなのかも知れないが、筆者以外にネクタイをしている人はいない。ファッションセンスは高く、自分に合った着こなしをしている。メニューには12種類のクラフトビールがあり、アルコール度数だけではなくIBUといって麦汁原液の濃度が表記されている。さらには「苦味」「重さ」「甘さ」「酸味」「香り」が、ビールごとに★(1つから5つ)の数で示され、別のページには供している料理との相性までも写真入りで紹介している。価格は360mlで780円~1180円とやや高い。一方、「キリン」が店内にいない。一番搾りやラガーといった商品ばかりでなく、ロゴやマークさえないのだ。知らなければ、キリンの子会社がやっているお店とは気づかないはず。
SVB東京の運営などクラフトビールを事業展開するSVB(本社・東京都渋谷区)の島村宏子社長は、指摘する。
「来店客の7割は20代から30代前半。一人でチビチビダラダラと時間をかけて飲む。大勢で乾杯してグビグビ飲む一番搾りとは、飲用スタイルがそもそも違います」
従来のビール類(ビール、発泡酒、第3のビール)とはまったく違う世界に、キリンは参入した形だ。
ちなみに、SVB東京1階にはスケルトンの仕込み釜、スケルトンの発酵タンクもあって、「ビールができるまで」を観察できるのは特徴だろう。2階には、250リットル発酵タンクが14基設置され、技術者が時折作業する横でビールを楽しめる。
それにしても、なぜキリンは未知の領域であるクラフトビールを始めたのか。
ボトムアップで事業に参入
「キリンにはゲームチェンジが必要です」
2012年春、キリンビール社長に就任したばかりの磯崎功典(現在はキリンホールディング社長)を前に、クラフトビール事業化を提案するプレゼンで和田徹は訴えた。和田は発泡酒「淡麗」、缶チューハイ「氷結」といったヒット商品の開発者として知られ、15年からSVB初代社長を務める(現在はSVB顧問)。プレゼンには醸造家の田山智広(同SVBマスターブリュワー)、吉野桜子(同SVBマーケティングディレクター)が同席していた。つまり、キリンのクラフトビール事業はトップダウンではなく、ボトムアップにより始まったのは特徴だ。
3人は11年秋から非公式な集まりをもつ。80年代半ばに入社した和田と田山に対し、吉野はこのときまだ入社5年目だった。経営トップへのプレゼンも、「プレゼントいうより、3人のはみ出し社員による直訴に近かった」(キリン首脳)そうだ。それでも、磯崎は3人の企画を認め、正式なプロジェクトに昇格する。磯崎はクラフトビール先進国であるアメリカに社内留学して現地でホテルビジネスに従事した。このため、クラフトビールについての知見を豊富にもっていた。