この熱き人々

2020年4月23日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

花の仕事に心が動く

 
 

 樹木医は、樹勢が衰えてきた樹木を診断し原因を突き止めて治療にあたる。和田は東京農業大学卒業後の1983年に現在の勤務先である公益財団法人「日本花の会」に就職、2000年に樹木医の資格を取得している。が、大学で専攻していたのは生物化学。ニワトリの卵がヒヨコになるまでに黄身のコレステロールがどのように使われるかの研究に明け暮れ、4年生の就職活動では製薬会社と食品会社から就職の内定を得ていた。そんな和田の進路を大きく変えたのは、機械メーカー・コマツ(小松製作所)の河合良成(かわいよしなり)社長(当時)の自宅庭の草むしりのアルバイトだったという。

 「草むしりに夢中になりました。この場所にはこんな草が茂っているのか、場所によって同じ花でも育ち方が違うとか、いろいろな疑問が浮かんで楽しかったんです」

 よほど仕事ぶりが印象的だったのか、河合社長が創設した日本花の会で仕事をしないかと誘われ、心が動いた。

 「試験管を洗って乾かしてデータをとりミクロの世界をのぞく。就職してからも一生こういう世界で生きるのかなあと、内定をもらってからも気持ちが決まらずぼーっと考えていたんです。先生からは『和田君大丈夫?』なんて心配されましたけどね」

 日本花の会は、茨城県結城市の農場で桜の苗木を育て、公共施設や地域に配って桜を楽しんでもらう事業を中心に行っている。

 「苗木を配って植えるだけでなくフォローも必要で、うまく育たない場合は原因究明の試験研究も行っていたので、そこも手伝いながら桜について学びました。大学では桜の勉強は全くしていませんでしたから」

 原因を究明し回復に努める仕事を続けた和田が樹木医の資格を取得するのは、極めて自然な流れでもあった。そして樹木医・和田の名前と仕事ぶりを多くの人が知るところとなったのは、山梨県北杜市(ほくとし)の山高神代桜(やまたかじんだいざくら)と伊豆大島の桜株の樹勢回復と保全に携わったこと。

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