「彦十蒔絵(ひこじゅうまきえ)」は、能登半島の輪島市で天然木と天然漆にこだわり、伝統的な技法を駆使しながら、誰も見たことのない世界で1点のみの漆芸作品を世に問い続けている木地師(きじし)、塗師(ぬし)、蒔絵師、沈金師(ちんきんし)などの職人集団であると同時に、生み出された作品のブランド名でもある。
型破りな挑戦を続けるこの集団を誕生させたのが若宮隆志。訪れた若宮の自宅兼オフィス、そして職人たちが集まって構想をめぐらす彦十蒔絵の本拠地は、輪島市の中心から少し離れた住宅街にあった。彦十蒔絵とは何を目指す集団で、彦十ブランドはどんな作品を生み出し、代表とも棟梁とも呼ばれている若宮はどんな役割を担っているのか。まずそこから理解したいと思う。
「どんな作品に挑戦するか企画を立て、お金を集め、彦十に所属するスペシャリストから作品ごとに木地、塗、蒔絵と選抜してプロジェクトチームを作り、それぞれの最高の仕事を結集して仕上げていきます」
つまり、若宮の中に作り上げたい作品のイメージがあり、そのための資金を集め、その思いを完璧に表現できる役者を選び、役者たちに言葉や写真や絵などを駆使して演出意図を伝え、イメージを共有して作品に仕上げていく映画監督兼プロデューサーのような役割ということになる。
彦十蒔絵が全国的に注目されるきっかけになったのは、「国際漆展・石川2014」で大賞を受賞した作品「犀(さい)の賽銭箱」。大英博物館が所蔵する、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーの犀の木版画を立体にして、青銅塗りという漆芸の技法を使いまるで青銅器のように見立てた作品で、青銅だと思って手にした人はその軽さに驚く。さらにそれが漆芸作品と知って驚き、輪島と聞いてまた驚く。
「見立(みたて)漆器は、遊び心、洒落です。青銅や鉄だと一度思った脳が、手にした時の軽さにえっ! と驚く。犀の頭の部分から賽銭箱が現れる。驚きがあって初めて人の気持ちは動く。青銅や鉄は重いと知っているから漆器の軽さに驚くわけで、大人になるにしたがって子供の頃にはなかった思い込みに囚われている人の意識や感覚への問いかけでもあるんです」
思い込みを外された驚きの先には、漆芸ってこんなことができるんだという驚きが続く。目の前の軽い梵鐘(ぼんしょう)の内部に施された美しい螺鈿(らでん)に見入っていると、若宮に60倍のレンズを手渡され、レンズを通して見るとそこに宇宙が広がった。