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2020年3月12日

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馬場未織 (ばば・みおり)

二拠点居住ライター

日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年から平日は東京、週末は千葉県南房総市の里山の二地域で居住する。田舎暮らしなどをテーマに執筆活動を展開。南房総の里山と都市に暮らす人をつなぐNPO法人南房総リパブリックの理事長も務める。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

消える山、できあがる建物

 筆者の東京の自宅から2つ目の自宅に行く時に、館山自動車道を利用している。アクアラインで東京湾を渡り、房総半島を南下するにつれ緑が深くなり心も躍る、と言いたいところだが、道中は牧歌的な風景ばかりではない。

 ちょうど10年ほど前のことだったと思う。「ねえ、このはげ山、なに?」と、まだ小学生だった息子に聞かれたことがあった。それは高速沿いに突如アタカマ砂漠のような様相で現れる、山砂の採掘場だった。山肌には重機が這い、日々山砂が削り取られている。見慣れている景色だが、いつも違和感を覚えていたという。

「なんでここを削るの?」

「建物を建てたり埋め立てしたりするときに使う砂を削り出しているのよ」

「そうじゃなくて!」と、彼はイライラとした口ぶりで聞いてきた。「なんで、ここを削るの?どんどん削ったら、ここの緑が減るじゃん」

「…まあ、そうだけど。ここは建物をたくさん建てている都市に近いから、砂を運びやすいんじゃない?」

「だからって。ここの山なくなっちゃうじゃん」

「なくなるよね…すでに前よりだいぶ小さくなってるよね」

 「自分のところさえよければ、こっちの山がなくなっていいっていうのはおかしい」と、息子はぶうぶう文句を言っていた。

 また違う日。

 二子玉川のショッピングセンターで買い物をしていた時のことだ。息子は、再開発が進んで駅前に建ったばかりの新しい高層マンションを見上げ、「ねえ新しい街がいい。こういうマンションに住みたい。うち古いからやだ」とわあわあ言っていた。

 整備されたまちの、ひと隅にも陰りのないメジャーな雰囲気に惹かれる子供の心はよく理解できたし、残るエリアには何ができるだろうという期待もあった。

 そんな気持ちに水を差すつもりはなかったが、先日の会話を思い出してふと話をしてみた。

「ほら、南房総のうちに行く途中の山が削られているじゃない。あそこで採れる砂は、こういう工事現場できっと使われているんだよ」

 息子はぎょっとした顔で「あの山がここで使われているの?」と聞いてきた。

「いやいや。ここかどうかは分からないよ。でも、建物ができるということは、コンクリートをつくる材料をどこかから持ってくるということ」

 彼はじいっとしていた。おしゃれでテンションの上がる新しいショッピングセンターと、ごりごりと削られて消えゆく山とを、交互に想像していたのかもしれない。

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