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2020年3月12日

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馬場未織 (ばば・みおり)

二拠点居住ライター

日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年から平日は東京、週末は千葉県南房総市の里山の二地域で居住する。田舎暮らしなどをテーマに執筆活動を展開。南房総の里山と都市に暮らす人をつなぐNPO法人南房総リパブリックの理事長も務める。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

 今年の受験シーズンが終了した。自分のまわりに受験生がいなければまったく関係ないが、1人でも家族の中に存在すると暮らしの雰囲気をかっさらっていく年中行事だ。

 我が家もようやく娘の高校受験が終わり、進路が決定した。3年前に都立中高一貫校への受験で失敗した彼女にとって、今年は人生初の合格体験だった。ちょうど1年前から、ごく少人数を指導するスタイルの塾に通わせていた。彼女からは「質問しやすい環境が欲しい」と言われていた。分からないことを分からないと口に出せる環境が最優先、と。

 分からない、が言いにくい。これは確かに「知りたい」という欲望を阻害する。

 2歳を過ぎたくらいの小さな子が「なんで?どうして?」とやたらと聞いてくるのは、知的好奇心が爆発的に育っている証として大いに肯定される。それがある時から「なんで知らないの?」と言われるようになり、知る喜びよりも知らないことのみっともなさが勝っていく。これはいつの世も同じ運びだ。

(metamorworks / gettyimages)

 それに加え、時代の風潮も後押しする。

 ネットの検索エンジンを使って調べる文化が定着したのは、2000年代前半。生まれた頃からネットに触れ続け、初歩的な質問を口にしようものなら“ggrks(ググれカス)”と即座に罵倒される空気を感じながら成長してきた世代にとって、「知らない」「なぜ?」と疑問を発することは極度に恥ずかしいことなのかもしれない。スマホを手にした途端に正解めいた情報が得られると、「なんでだろう?」と疑問を持つ力さえ希薄になってくる。分からないことが分かるようになるというプロセスを極端に短縮し、突然知ったような顔をする所作も身についている。なぜか相手より優位に立って馬鹿にする“冷笑系”もその延長にある。

「なぜ?」がそこかしこにある暮らし

 本来、「知らない」というのは、新しいことを知る喜びを孕んでいる。

 知識欲は、人間の三大欲求と並んで語られるほど、それを満たすと気持ちがいいものだとも言われている。ただその気持ちよさ、喜びを得るためにはまず「なぜ?」に出会えることが大事だ。

 「なぜ?」に出会うための要件は、2つほど思いあたる。そのひとつが、知りたいという欲望が引き出される環境に身を置くことである。

 そんな目的など当初より持っていたはずもないが、巧まずして筆者の暮らし方はたくさんの「なぜ?」が自然とわいてきやすい。都市と里山で同時に暮らす“二拠点生活”である。なぜなら、普段の暮らしは都市にあるので自然の中で起こることがいちいち新鮮で、当たり前なものとして見過ごすことができないからである。また、旅と違って同じ場所に何度も行くことで、潜在的な疑問がきちんと「なぜ?」という形で発露できるまで時間がかけられる。さらに、異なる環境を行き来すると同じ物事を多面的に見る機会も増える。

 そうして生まれてきた疑問には、解決できたものもできないものもある。調べて分かるような類のものばかりでもない。ただ、知りたい、と行動を起こし、議論を重ねていくプロセス自体が面白いことが多かった。そのひとつを紹介したい。

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