志村けんの笑いを韓国人が理解できる理由
私が志村けんの昔のコントを見て「懐かしさ」を感じた理由もそこにあった。韓国の芸人たちは志村けんの作品を代表とする日本のコントをただ模倣しただけではなく、それをマネしながら自然に日本式の笑いのツボを覚え、それを披露するようになった。そして視聴者も自然にその芸風に馴染むようになる。
つまり、韓国の視聴者たちは間接的に志村けんを「学習」したのだ。実際、今改めて志村けんのコントを見て、私が子どもの頃見た韓国のコントが実は志村けんのコントから小道具や背景だけを変えたものだったのだと気付いた例がいくつもある。私が志村けんを見て感じた懐かしい気持ちの正体は、「モノマネ芸人」がオリジナルだと思って育った人が、大人になって偶然「本物」を見て感じる「親近感」のようなものだったのだ。
志村けんの作品は韓国で放送されたこともないし、今でも日本のバラエティー番組は韓国で放送禁止状態が続いているから韓国人の多くは彼のことを知らない。しかし、韓国人なら志村けんのコントを見て「昔どこかで見たような」というデジャブを感じる人が多いはずだ。笑いには国境はないというが、単純に国境を越えただけではなく、日本のコンテンツが禁止されていた隣国の人たちも魅了するような大きな力が彼にはあったと思う。
私は彼の真似をする韓国の芸人たちを見て育った人間だ。それを「劣化版」とバカにする人もいるかもしれないが、韓国の芸人たちが真似したその笑いのツボと感覚は少年時代の記憶と一緒に頭の中に強く残っている。私がリアルタイムで志村けんの活動を見たのは1999年以後だが、彼の死にとても残念な気持ちを覚える理由もそこにあるのかもしれない。
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