2024年12月3日(火)

補講 北朝鮮入門

2019年7月23日

 北朝鮮の金正恩国務委員長の権力基盤をより強固なものにする作業といえるのだろう。4月11日、最高人民会議第14期第1回会議で憲法が「修正補充」された。その時は改正の事実のみ報じられたが、7月に入ってようやく内容が判明した。北朝鮮の対外宣伝ウェブサイト「ネナラ(わが国)」に憲法全文が掲載されたのである。北朝鮮の現行憲法は、他派閥の排除を終えて支配体制を確立させた金日成が1972年12月に制定した「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」がベースで、後継者となった金正日国防委員長の体制を規定するため、金日成死後の1998年9月に大幅改正された。2016年6月に国防委員会が国務委員会に替わるなど、これまでも小幅な改正は繰り返されてきたが、今回はとりわけ重要な改正と言えそうだ。

(写真:AP/アフロ)

 現役指導者の名前を初めて憲法に明記

 改正の第一の特徴は、「偉大な金日成・金正日主義」を「国家建設と活動の唯一の指導的指針」としたことである。

<第3条 朝鮮民主主義人民共和国は、偉大な金日成・金正日主義を国家建設と活動の唯一の指導的指針とする。>

 北朝鮮という国家の指導的指針といえば、「主体思想」というイメージが強いだろう。金日成が創始したとされる主体思想は72年憲法で指導的指針とされたものだが、今回の改正によって46年4カ月ぶりに削除された。金正日が提唱した「先軍思想」も同様だ。09年4月の憲法改正で「主体思想、先軍思想」が国家の指導的指針とされていたのだが、今回の改正で指導的指針から外れた。代わりに登場したのが、より包括的な概念である「偉大な金日成・金正日主義」である。

 実際に、「主体思想」や「先軍思想」という言葉を金正恩が口にすることはほとんどなくなっていた。憲法改正翌日の4月12日に行われた「施政演説」でも、「主体思想」に1回言及しただけである。金正日時代を象徴する「先軍思想」や「先軍政治」については、ほとんど言及されなくなってから久しい。

 先代指導者を崇めながらも、過去とは距離を置こうとしている様子は、元日の「新年の辞」でも垣間見られた。今年の「新年の辞」では、「先軍政治」への言及が無いばかりか、初めて金日成や金正日に一切触れなかったのである。

 先代指導者が創始した思想の名称ではなく、指導者の名をそのまま冠した「金日成・金正日主義」を憲法条文に盛り込んだことの意味はなにか。それは、その後継者である金正恩の体制が個人支配や王朝の性格を強めているという実態を反映したものと捉えうる。そのような観点からは、「金正恩」の名が明文化されたことも注目に値する。

<第59条 朝鮮民主主義人民共和国の武装力の使命は、偉大な金正恩同志を首班とする党中央委員会を決死擁護して、勤労人民の利益を保護し、外来侵略から社会主義制度と革命の獲得物、祖国の自由と独立、平和を守ることにある。>

 現指導者の名が憲法に入るのは、北朝鮮史上初めてのことである。「金日成」は1998年9月、「金正日」は2012年4月にそれぞれ憲法に明記されたが、いずれも死後のこと。しかも、それは序文に限ったものであった。

憲法から消えた「主体思想」

 憲法にうたわれた決死擁護の対象も変わった。改正前は指導者の名前に触れることなく「革命の首脳部」だったが、改正後は金正恩を首班とする「党中央委員会」である。金正日時代の「先軍政治」を彷彿とさせる言い回し=革命の首脳部=から党の組織に変更したのは、金正恩体制の構築初期から重視されてきた党中心の国家体制への回帰を再確認したものとなる。

 ちなみに、国家に対する党の優位性に関する第11条には変更が加えられなかった。

<第11条 朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の領導下に全ての活動を行う。>

 「国家の指導的指針」の変遷からは、北朝鮮の歴史を垣間見られる。建国当時の「朝鮮民主主義人民共和国憲法」にはそもそも言及がなかったが、1972年憲法で「マルクス・レーニン主義をわが国の現実に創造的に適用した朝鮮労働党の主体思想」が国家の指導的指針だと明記された(第4条)。ソ連崩壊直後の1992年4月の改正でマルクス・レーニン主義が消え、「人間中心の世界観であり、人民大衆の自主性を実現するための革命思想である主体思想」となった(第3条)。

 そして前述の通り、2009年4月の改正で「先軍思想」が加わった。それが今回、「偉大な金日成・金正日主義」になったのである。しかも、それが「唯一の」指導的指針である、と強調されるようになった。


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