2024年4月25日(木)

Wedge REPORT

2020年4月24日

「旅の恥はかき捨て」を今はしてはいけない

 自分と無縁な場所では無責任な行動をする。本来あってはならないことだが、人はそうした行動をとりやすい。「旅の恥はかき捨て」という諺まである。これを笑って済ませられるのは平時のことで、今はそうした行動を目にすることで恐怖心が生まれ「外部からは来ないでほしい」という動きが生まれる。命がかかっているのだから当然のこと、かき捨てられる立場に立ってみろという話だ。そして、こうした人々の感情の渦は「大事な地域を傷めたくない」と願う外部者をも否応なく巻き込んでいく。

 こんなご時世なのだから「もう二拠点生活はやめる」とばっさり決断する、という選択肢も、もちろんある。絶対的に感染拡大をさせない方法であり、自分も疑われることがない。

 ただ、いつになるか分からないが、必ずafterコロナの時代はやってくる。その時に、ひとたび年単位で分断されていた縁を取り戻すのは容易ではない。人間関係もそうだが、人の手を入れない自宅周辺の里山環境は荒れ果てる。定期的に通うことで維持していた自然を1年放置したら、元に戻すのに何倍もの労力が必要となる。そして、その労力を使ってでもその場所を取り戻そうというモチベ―ションが、その頃にも残っているだろうか。

 自ら排除対象としてふるまった後は、大きく後退したところからのスタートを余儀なくされる。

 悩んだ結果、筆者は二拠点生活を続けている。ロックダウン(都市封鎖)となるまでは、週末に変わらず通うだろう。日数分の食糧や農機具を動かすためのオイルもすべて東京から持参して、家の外には出ない。まさに家から家へとワープするような暮らしだが、それでも南房総に行くと深くリフレッシュする。マスクをはずして外(敷地内)に出て、季節の匂いを嗅ぎ、ミツバチの巣を確認する。人間が見ていようといまいと花々は咲き誇り、日射は日ごと強くなる。いつもは義務としか思えていなかった草刈りも、今年はなぜかとても楽しい。人間同士のつながりが持ちにくくなったことで、自分が自然の一部として生かされているという感覚が研ぎ澄まされていくのだという発見がある。

顔の見える人との、顔の見えない付き合い方

 Beforeコロナ時代は、農家さんとの〝濃厚接触〟が二拠点生活の価値のひとつだった。農業ボランティアをしたり、農家さんから農産物を手渡しされたり、彼らのつくった野菜を料理して一緒に食べたりと、都市農村間の個人レベルでの関係を構築してきた。

 今はそうしたことすべてができない。地元の道の駅での野菜購入も自粛するため、一気に地元野菜から遠のいた気がする。

 そんな中、ある農家さんの野菜をめぐるグループが立ち上がった。発注をとりまとめるグループではなく、彼に直接発注して購入した野菜が届いたら、それを使った料理やレシピを共有するというグループである。メンバーは顔の分かる人とその周りの人、全部で150人程度。

 なのでたいして気張らず、農家さんへの親しみと感謝を込めてありのままの食卓を公開し、やりとりを楽しむ。家庭の数だけレシピがあり、玄人はだしの料理人もいれば、どれだけ手を抜けるかに熱心な人もいる。簡単な一言と写真だけのレシピはまどろっこしくなくて真似しやすく、工夫を上乗せしたり、冷やかしたりと賑やかだ。まるでどこかの番組のように、隣の家のごはんをのぞき見しているような楽しさもある。

 農家さんは自分が丹精を込めた野菜がどのように料理されているか知ることができ、ちょっと珍しい野菜に関しては売り込み方のヒントにもなりうる情報を読み取ることができる。またある時は、単に買い支えるだけでなく「どうしたらもっと売れるか」について消費者同士で議論が生まれることさえある。

 顔が見える人の、顔が見えない状態。このもどかしさを克服したくて生まれるパワーには縁を力に変えるクリエイティビティが伴うことを実感している。

 また、直接会えなくとも不在時に花鉢を届けてくれる知人や、軽トラで家の近くまで来てくれて「水蕗(みずふき)がとれたから!」と数メートル先からほいっと投げ渡してくれるご近所さんがいる。そんな地方ならではの交流が続いているのにも心が温まる。

 収束したときに互いに無事だったら、まずは握手をしようか。一緒に食事をしようか。そう考えながら、今は、つながれる部分を大事にする暮らしを続けている。

  
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