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2020年4月20日

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児玉 博 (こだま・ひろし)

ジャーナリスト

1959年生まれ。85年に早稲田大学卒業後、フリーランスとして活動。「堤清二 『最後の肉声』」(文藝春秋)で、第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞。近著に『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』(文藝春秋)。

 日本の新型コロナウイルス対応の杜撰さの象徴となったクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」。日本政府の明確な指針、方針が定まらぬ中、船内の惨状は外国人客らのSNSによって世界中に拡散。まるで日本が感染症の発生源であるかのようなニュースが世界を駆け巡り、日本は厳しい立場に追いやられた。

ダイヤモンド・プリンセス号での新型コロナ対応は、省庁ごとに指揮官も防護基準も異なった (BLOOMBERG/GETTYIMAGES)

 船内の様子を撮影した数枚の写真が編集部にもたらされた。そこには政府の対応の混乱ぶり、同時に統一されていない指揮系統の無秩序ぶりが映し出されていた。

 1枚の写真には2つの扉に次のような張り紙がされていたものだった。一方には「清潔ルート」、もう一方には「不潔ルート」。つまり、感染の疑いがある者と、そうでない者を便宜的にこう呼んだのだが、開け放たれた扉は同じ部屋につながっており、扉を分ける意味をなしていなかった。

 また、別の写真には防護服を着て作業にあたる自衛隊の隊員らとは対照的に、背広姿で手袋もせずに作業にあたる厚生労働省の職員たちが映し出されていた。自衛隊から感染者が出なかったが、厚労省の職員からは感染者が生まれた。それも当然な話だ。

 そもそも、発生源、つまり〝HOT〟を中心にして、その周辺が〝WARM〟という軽度感染区域、さらにその外縁のある無感染区域である〝COLD〟に分けられ、対策本部が〝HOT〟から最も遠い場所に置かれるのが感染症対策の常識。なぜなら、対策本部自体が感染症との闘いに追われ、冷静な判断ができなくなってしまうからで、また客観的な視点を持ち得なくなってしまうからでもある。

 しかし、ダイヤモンド・プリンセス号の対策の指揮をとった厚労省は、そうした考え方、発想を持っていなかった。対策本部が置かれたのは船内だった。

対応が後手に回った
最大の理由

 どうしてこうしたチグハグな、かつ後手後手の対応になってしまったのか。

 「感染症は紛れもなく安全保障の問題という危機意識がないからだ」

 こう即答したのは、参議院議員、佐藤正久だ。2004年の自衛隊イラク派遣で先遣隊長を務めた佐藤は〝ヒゲの隊長〟として知られるが、その一方、別の顔も持つ。化学、生物、そして核兵器からの攻撃から防護を任とする化学科隊員としての顔である。

 14年に西アフリカ、ギニアで発生し、およそ2年間にわたり西アフリカ諸国で大流行したのがエボラ出血熱だった。急性ウイルス性感染症の1つである。感染後、治療開始が遅れるとその致死率は80%以上に及んだ。約2年間で1万1000人以上の死者を生んだ。

 佐藤はその最中、現地に足を運び、この感染症の恐ろしさを体験し、またその医療現場をつぶさに見て回った。

 佐藤から見ると、先のクルーズ船内の指揮系統の杜撰さ、対策本部設置の問題など、すべては安全保障という観点があれば、しっかりとした対応ができたという。その考えの基本となっているのが、〝CBRN(シーバーン)〟と呼ばれるものだ。「化学」「生物」「放射性物質」「核」、それぞれの頭文字を取り、こう呼ばれている。

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