2024年6月14日(金)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2020年5月10日

 この説に従うと納得できることがある。

 推古・皇極・持統と女性天皇が頻出したために天武・持統朝に伊勢神宮のアマテラスが女性の皇祖神になったと思われるが、なぜ歴代の天皇はただの一人も(明治時代まで)伊勢に参拝しなかったのか、という理由だ。

 つまり、天皇家が宮中でタカミムスヒ(高御産日)など始祖神8神を祀っている以上、また神仏習合で大半の神社に神宮寺があり、神より格上の仏が天皇家を守護している以上、伊勢に御座(おわ)す例外的皇祖神に天皇自身が参拝する必要はなかったのだ、と推察される。

 3つ目の疫病は、その伊勢のアマテラスが約1200年の眠りを経て再び息を吹き返すきっかけとなったコロリ(コレラ)である。

 インドの風土病だったコレラが19世紀初頭から20世紀初頭にかけて猛威をふるったのは、近代化による国際交流の結果だった。その意味では新型コロナの原初型と言える。

 安政5(1858)年、長崎に上陸したコレラは大坂・京都を経て江戸に達した。立川昭二『病気の社会史』(NHKブックス、1971年)によると、江戸のみで死者10万余人を数えたという。続いて文久2(1862)年夏にも流行し、この時は江戸だけで7万3000人の死者が出た。

 安政のコレラは、その5年前に浦賀に来航したベリー艦隊の一隻ミシシッピー号が改めて持ち込んだもので、安政2年の大地震の被害も重なり、庶民の間に開国への不安や外国人への敵意が生じ、終末観が広まった。

明治天皇が伊勢神宮を参拝

 やがて開国、新たに明治時代が始まる。

 文明開化を掲げた新政府は、欧米を模倣する一方、「王政復古」の基盤を神武創業に置くことにしたが、神武時代は不明。そこでモデルになったのが天武・持統朝の古代律令制である。

 初代神武天皇が大和平定後、鳥見(とみ)山(奈良県桜井市)の皇祖天神(タカミムスヒ?)を祀ったのに倣い、明治2(1869)年明治天皇は史上初めて伊勢神宮に参拝した。

 神祇官が復興され、伊勢神宮を頂点とした全国の神社の序列化も進んだ(相前後して神仏分離令に伴う全国規模の廃仏毀釈(きしゃく)が進行)。

 江戸時代の「お伊勢参り」は天皇崇拝とは無縁の物見遊山だった。しかもアマテラスを祀る内宮(皇大神宮)より豊受大神を祀る外宮(豊受大神宮)の方が勢力があり、優位だった。

 その状況が突然一変したのだ。そして、アマテラス以来の「万世一系の天皇」が統治する「大日本帝国」が誕生したのである。

 こう見てくると、折々の疫病の大流行は、日本という国の根幹を揺るがす変化をもたらしてきたと言える。では、今回のコロナ禍がもたらすものは?

 象徴天皇制の変更は考えられない。であれば、価値観がひっくり返るのは「グローバル資本主義」か、それとも「自由と民主主義」か?

  
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