この熱き人々

2020年6月25日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「農場では10年ほど働いたけど、とてもよくしてもらった。でも、冬場の12月から3月までは休みでね。4カ月収入がないと生活が苦しいのよ。町に保育園さできるって聞いて、掃除や給食の手伝いをする用務員として働かせてもらうようになったんだ」

 そこで、調理師の資格を取得している。調理員が休んだ時に資格があれば給食を任せられるのにと言われて一念発起、勉強を始めたのだという。

60歳からの新たな道

 

 保育園には25年近く勤めて、60歳で定年を迎えたのが87年。働きづめだったから少しはのんびりしようという気持ちにはならず、本格的に畑を始めた。

 

 「野菜作りたいなあと思って。いいもん作ろうと肥料やってたけどよくならないの。篤農家の人が通りかかったから、なんぼ肥料やっても白菜よくなんないのさって言ったら、作物植えたら毎日畑さ来て作物と話っこせねばいいもんとれねえんだって。今日何がほしいか、水っこさほしいか、肥料さほしいか、わかるようにならねばダメだって。それわかるのに何年かかるの? って聞いたば10年だって。10年か、だば70歳になるまでやってみようと思ったんだ」 

 同時に、金木町の当時の農協婦人部が直売所を始めるので何か出してほしいと声がかかった。そこで笹餅や粟餅や赤飯を出したのだが、ミサオのものはよく売れた。

 「自分のものが売れるのはうれしいけど、同じものを出して残っている人がいると心が痛むのよ。申し訳なくて。それで誰も作らない笹餅ひとつにすることにしたんだ」

 笹餅を作って売る。60歳で新しい仕事が始まった。無人直売所への出品は、言ってみれば自由参加。いつ止めてもいい。が、ある出来事が餅作りを一生続けようとミサオに決心させたのだという。当時、金曜会という女性だけのお楽しみ会があって、ミサオも誘われて入会していた。

 「特別養護老人ホームが近くにできたから慰問さ行くべということになってな。みんなで粟餅作って持って行ったのさ。そしたら涙流して喜んでくれたの。きっとみんな、昔は自分で餅を作ってたんだよね。餅っこひとつでこれだけ喜んでもらえるんだば、一生餅を作り続けようって思った」

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