この熱き人々

2020年6月25日

»著者プロフィール
閉じる

吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

できたての笹餅はみずみずしく、もっちりとなめらか。 変色を抑えた笹の葉の緑が美しい

 一生の仕事になった笹餅作り。よりおいしくするための試行錯誤を繰り返し、進化していく笹餅は評判を呼び、注文も多くなって、75歳の時に地元の大きなスーパーから店で売りたいと声がかかった。こうなると、それまでのスタイルでは対応できない。個人事業主として登録し、菓子製造業やそうざい製造業の営業許可が必要になる。そのほかにもさまざまな条件をクリアしながら、思いもかけなかった「笹餅屋」を起こすことになったという次第。

 次に訪れた転機は80歳の時。冬場にストーブ列車を走らせて観光客を呼びこもうと頑張る津軽鉄道を応援する「津鉄応援直売会」が生まれ、ミサオもひと肌脱ぐことになったのだ。車内で笹餅を売る最年長のミサオは、時に客のリクエストに応えて歌う民謡とともに大人気を呼び、NHK東北の「ここに技あり」という番組が取材に来て、一気に知られることに。地域への貢献によって平成22年度農林水産大臣賞を受賞している。そして3月10日に行われた東京での表彰式から青森に帰った翌11日に、東日本大震災が東北を襲った。

 あまりのショックに震えが止まらず気持ちも落ち込んだままだったが、被災地の高校に千羽鶴の代わりに1000個の笹餅を贈ろうと決め、3年間続けたという。笹餅を食べた高校生たちから、75歳で起業したミサオに励まされ若い自分たちが復興に向けて頑張るという手紙がたくさん届けられ、今もミサオの支えになっているという。 

 93歳の今冬も、絣(かすり)の着物に赤い前掛け姿でストーブ列車に乗った。聞くところによると、車内はかなり揺れるらしい。

 「まだ大丈夫だったよ。ちゃんと自分で台さ持って販売できたから」

 これまで、疲れたとかもう辞めたいとか考えたことはなかったという。立ちっぱなしの作業の合間に、作業場の中を爪先立ちでスクワットしながら10周して足腰を鍛え、笹採りも自転車もストーブ列車もみんなトレーニング。今でも27キロの餅米の袋をひとりで持ち運ぶ。自分なりに多少は鍛えてるんだよと笑った顔には、精一杯生きてきた長い道のりが培った強さとやさしさと美しさが溢れていた。

写真=佐々木実佳

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

◆「ひととき」2020年6月号より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

関連記事

新着記事

»もっと見る