そして、プーチン氏が初の外遊先に選んだのも、CIS諸国であり、隣国のベラルーシであった。5月31日にベラルーシを訪問し、ルカシェンコ大統領と会談。プーチン氏が推進している、旧ソ連圏を中心とした経済統合「ユーラシア経済同盟」創設に向けた動きを加速することで一致した。プーチン氏は、昨年秋、大統領への返り咲きを表明した直後に、欧亜を結ぶ地域統合「ユーラシア同盟」の創設を提唱した。そして、そのベースとなるのが「ユーラシア経済同盟」だと想定されており、昨年11月に、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンの3カ国で2015年までに「ユーラシア経済同盟」を創設する宣言文が調印されていたという経緯がある。
ルカシェンコ大統領は、「欧州最後の独裁者」の異名を持ち、欧米諸国との関係は厳しい。そのような中で、両首脳は、「内政干渉に反対し国際紛争は外交的手段での解決を目指す」とする共同声明を発表し、欧米の中東問題への姿勢を批判するとともに、旧ソ連諸国の盟友としての結束を確認した形だ。
ドイツ・フランスとロシアの深い関係
プーチン氏は、ベラルーシに次いで、6月1日にドイツ、同日夜にフランスを訪問した。ドイツ、フランスはEUの主要国であると同時に、ロシアとはとりわけ関係が深い国だ。ドイツとフランスは、2008年4月に、NATOがグルジアとウクライナに行動加盟計画(MAP)を付与しようとしたときに、ロシアの側に立って、反対に回り、事実上、その話を頓挫させた経緯がある。
また、ドイツとロシアの関係はエネルギー協力に代表されるように(拙稿「独露のノルド・ストリームの開通-その背景と駆け引き」参照)、特に緊密である。フランスともミストラル級強襲揚陸艦の購入について交渉を進めてきた。ロシアが北大西洋条約機構(NATO)加盟国から兵器を購入するのは、ソ連時代を通じて初であり、その関係の深さが見て取れる。
シリア問題で厳しい会談に
ただし、シリア問題が中心的な話題となった両国首脳との会談は厳しいものとなったようだ。ドイツのメルケル首相との会談では、焦点のシリア情勢について、内戦に突入し、多くの市民に苦難が及ぶのを阻止し、政治解決を目指すために全力を挙げることで一致した。しかし、プーチン氏はドイツが求めた人権擁護に対する明確な意思表示については言及を避けた。フランスのオランド大統領との会談では、フランス側がアサド大統領の退陣や制裁強化の必要性を強調し、アサド政権への強硬姿勢を示した一方、プーチン大統領は反対を表明するなど、両者間の溝が浮き彫りになった。
しかし、最初の外遊がベラルーシ、独仏という形の歴訪になったこと、次いで後述のように、ウズベキスタン、そして中国に訪問したことから、プーチン氏の外交路線は、やはり米国との距離を取り、旧ソ連諸国、欧州、アジアとの関係強化を目指す一方、中国に対してはけん制も続けるという姿勢だと見て取れる。
中国の中央アジア進出へのけん制
そして、かなり前から明らかになっていたロシア、中国、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタンから成る上海協力機構(SCO)サミットへの参加を伴う訪中予定の前に、プーチン氏はもう一つ外遊を入れたのである。それは6月4日に訪問したウズベキスタンだった。