「のびのびと歌ったり踊ったりしていたのが、撮影現場に行くと床にバッテンがついていて、ここに立って、こっちを見てと全部細かく決められる。学芸会やってんじゃねえぞって怒られる。演劇をしっかり学んだわけじゃないから未熟だったのよね。撮影が終わると、当時好きだった江の島の海に行って、バカヤロー、映画なんか大っ嫌いだあって叫んでました」
そんな倍賞に62年、歌が戻ってきた。映画俳優が歌を歌い、その歌が映画になることが多かった時代である。女優・倍賞千恵子の歌手としてのデビュー曲になったのが、その年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得した「下町の太陽」。お約束通り映画化された「下町の太陽」のメガホンを取ったのが当時32歳の山田洋次監督だった。歌から生まれたこの出会いが「男はつらいよ」につながったわけである。
第1作から50年目の昨年、渥美清没後23年目にして50作目の「男はつらいよ お帰り 寅さん」が公開された。かつては笑いに包まれた映画館は、笑っては泣き、泣いては笑うという人々の感情の波状が途切れることなく続いていた。寅さんだけが昔と変わらないが、50年の年月が流れ、さまざまな悲しみや喜びを経た自分がいる。かつて屈託なく笑っていたセリフに胸を締め付けられ、笑うはずが泣いている自分がいる。そんな過去と現在の間で揺れ動く観客の感情と、50年の時の流れが生み出す残酷さとやさしさのすべてを受け止めていたのが倍賞千恵子の存在感だった。いつも「くるまや(40作目から)」で寅さんを迎えていたのは「さくら」だったが、50年の長い旅をして再び映画館に戻った観客を迎えてくれたのは紛れもなく「倍賞千恵子」だった。
来年には次回作の予定があるという。6月には東京オペラシティでの恒例の誕生日コンサートが決まっている。歌は倍賞にとって表現活動の最初の1歩であり、現在に続く原点でもある。
「歌と芝居。2兎を追う者は1兎をも得ずって言われたけど、私は2兎を追いたかったの。人生後半になって2兎が私の中で合体して1兎になったように思うんだよね。歌は語るように、セリフは歌うようにってよく言われるのは、これか!ってわかったような気がしてる。来年は、果たして世の中の状況がどうなっているかわからないけど、準備はしっかりしているのよ」
女優さんの年齢を書いていいのかを恐る恐る確認したところ、「そんなの、全然かまわないよ。80歳のバースデーコンサートだからね」と、何でそんなこと聞くの? というように笑った。まことに豪快にして爽快、真っすぐな笑いっぷりだった。
●「この熱き人々」は7月号で最終回となります。長い間ご愛聴ありがとうございました。
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