2022年7月3日(日)

赤坂英一の野球丸

2020年8月12日

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「カープの弱体化」こそ、巨人・原辰徳監督の最大の狙い

 実はその「カープの弱体化」こそ、巨人・原辰徳監督の最大の狙いだったのではないか、と私は思う。原監督はこれまで、枚挙にいとまがないほど他球団の主力選手や外国人を引き抜いてきた。丸の獲得は、原監督が3度目の就任要請を受諾するに当たり、読売に対して最も強く要望した条件だったとも言われる。

 丸獲得の手応えを掴むと、原監督は最初のミーティングでいきなり「カープはそんなに強いチームじゃなかったぜ!」と選手たちに呼びかけた。マスコミの取材にも「カープが3連覇中だと言うけど、僕の中にはそういうイメージはないね」と堂々と語っている。

 原監督はカープ打線のキーマンを奪い取る一方で、巨人ナインに巣くっていた苦手意識の払拭に取りかかったわけだ。一種の〝マインドコントロール〟と言っては言い過ぎか。

 ただし、原監督の言うことにも根拠がないわけではない。原監督の第2次政権時代は、06~15年の10年中、09~14年の6年連続を含む7年間で広島に勝ち越している。当時はカープも1998~12年まで15年連続Bクラスと長い低迷期にあったから、「そんなに強いチームじゃなかったぜ」と言われても仕方がないだろう。

 もっとも、前出の広島OBは「当時の巨人戦の対戦成績がよくなかったのは、別の理由もあった」と、こう補足する。

 「カープが6年連続巨人戦に負け越した09~14年のうち、10~14年の5年間は野村謙二郎が監督をしていた。彼は『巨人に勝っても他チームに勝っても1勝は1勝』という考え方で、エースの前田健太を巨人戦に合わせることをせず、勝てる確率の高い対戦カードに回していた。だから、野村監督時代は巨人戦の勝率が極端に下がったんですよ」

 実際、巨人戦の対戦成績は、野村監督就任1年目の10年6勝18敗をはじめ、11年6勝16敗2引き分け、12年8勝15敗1引き分け、13年8勝14敗2引き分け、14年10勝13敗1引き分け。その5年間、第2次原監督時代の巨人は09、12~14年と4度優勝している。当時のカープがどれほど巨人に〝貢献〟していたか、何よりもこの数字が雄弁に物語っている。

 まだ本拠地が旧広島市民球場だったころ、初優勝した75年から5度優勝した91年までの常勝時代はそうではなかった。当時はどれだけ勝ってもなかなかスタンドが埋まらず、満員になるのは週末の巨人戦ぐらい。だからこそ、首脳陣も選手も「巨人にだけは勝たんといかん!」と、他のカードの何倍も闘志を燃やし、巨人に立ち向かっていった。

 そのころからこの仕事を始めた私は、大野豊と槙原寛己の投手戦、前田智徳がブレークした〝涙の逆転ホームラン〟など、様々な名場面をいまでもよく覚えている。日本テレビが地上波で全国放送していたこの時代、自分の出番がCMとかぶらないよう、わざとグラウンドへ出て行くタイミングをずらしていた達川光男のような名捕手もいた。

 そんな80~90年代も、3連覇した16~18年も、カープファンにとっての巨人戦は、勝てば何より痛快で、負ければどのカードよりも悔しかった。今年の佐々岡カープがこのまま巨人の首位独走を許すようでは不甲斐ないし、あまりに寂しい。せめて強かった時代を彷彿とさせる熱いゲームを見せてほしいものである。

  
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