オリジナルのおもしろいアイデアをつけてくる
30数年で、単発の仕事も含めると仕事で組んだ編集者は200人ぐらいでしょうか。仕事ができて、活躍する編集者はこちらに依頼する時、企画にオリジナルのおもしろいアイデアをつけてくることが多い。
ある編集者は、レースクイーンをテーマにした企画を依頼してきました。レースクイーンのイラストを交え、紹介する内容なのですが、「女子高制服図鑑」のように描けないか、と持ち掛けてきたのです。一緒に富士スピードウェイ(静岡県)や鈴鹿サーキット(三重県)に行き、レースクイーンを観ました。それでイラストを描いて、文章も添えて…。おもしろい仕事になりましたね。
この編集者は他の仕事においても、「こんなイラストを(編集者として)求めている」とまず描いて見せるのです。そのほうが、こちらはイメージをつかみやすく、仕事が進みます。
最も印象に残っていて、今も感謝している編集者は出版社・弓立社の前社長の宮下和夫さんです。1980年代前半に女子高の制服のイラストを描いて持参したところ、その場ですぐに「本にして出しましょう」と言ってくださったのです。当時、宮下さんは40代前半。決断の早さに驚きました。僕はイラストレーターとしての実績はまったくなく、イラストを描いたノートを何冊か持って行ったくらいです。それ以前に別の出版社で「こんなことを考えている」と話をしたことはありますが、まともには取り扱ってもらえませんでしたね。
宮下さんは、僕が出したい本を出したい形で出せるように考えてくれました。編集者として強引に進めることはなかった一方で、イラストレーターの南 伸坊さんに協力を仰ぎ、「図鑑」というコンセプトを固めてくれました。描き上げるのに1年ほどかかりました。辛抱強く待ってくれていたんですね。
本は、よく売れたんです。確か、初版は4000部で、5カ月で8刷。初年度で、6万500部程と聞いています。1994年まで毎年改定版を発売し、増刷を繰り返しました。当時は女子高の制服がリニューアルしたり、共学になったりすることが多く、激動の時代でもあったのです。だから、制服が注目を浴びていたように思います。宮下さんは、いつもこちらの考えをくみ取ってくれる方でした。これは、編集者として難しいことに見えます。
その後、ある編集者と組んで女子高の制服のイラストを描きましたが、「この人とは合わないな」と思いました。僕が描くのが遅いから、「女性のポーズはみんな同じでいいでしょう。制服だけを新しく描けばいい」と言うのです。発売日に間に合わせるための判断なのでしょうが、その指摘に納得ができずに「こちらの考えとは違うんですけど…」と言いました。ポーズや着こなし、表情に校風やカラーがあるのですから。編集者は、押しの強いタイプでした。制服に関心もないようで、それをはっきりと僕の前で言っていました。自分の考えを押し付けても、こちらの思いを引き出そうとすることはしなかったですね。
会社では上司が部下のことを「あいつは使えない」と気軽に言う時があるようですが、その上司は上の方からどのように評価されているのでしょうかね。部下の能力が低いならば、それをなんとかして形にしなきゃいけないのではないでしょうか。「使えない奴は切ればいい」ってことじゃないと思います。宮下さんが経験の浅かった僕の力を見出してくれたように、部下の力を引き出すことをしてほしいですね。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。