── 私たちは今後、新型コロナとどう向き合っていくべきでしょうか。
齊藤 「ポストコロナ」が盛んに議論されていますが、その前に「ウィズコロナ」を実践していくことが大切だと思います。ウィズコロナの実践は、感染症対策を行いながら、さまざまな社会・経済活動を行っていくことであり、時間と手間もかかります。完全にはリスクがゼロにはならないのですが、ゼロリスクを求めて「それまで何もやりません」ということになれば、社会・経済活動が止まってしまいます。だからこそ、社会全体で苦労を分かち合いながら取り組んでいくことが今、さまざまな現場で求められていると思います。
その意味で、「Go To トラベルキャンペーン」は真剣に感染症対策をしながら旅行を楽しむという〝ウィズコロナの実践〟の一つだと思います。「外出するな」「県をまたいで電車に乗るな」といったメッセージばかりを国や自治体が発していては、国民は何も行動できなくなってしまいます。
また、ポストコロナの議論のなかで、「これからはリモートワークの時代だ」「学校の授業は遠隔授業に一本化できる」といったことが盛んに叫ばれていますが、本当にそうでしょうか。私には極論に思えてなりません。大事なことは「リアルか、リモートか」という二者択一ではなく、「リアルも、リモートも」という選択肢を持ちながら、そのなかで活動していくということではないでしょうか。
土居 最近、新規感染者の発生報道に対して国民にある種の免疫に近しいものができ始めたのではないかと思っています(笑)。以前は、東京都で感染者が三桁になると「大変なことが起こっている」「東京を厳しく休業要請すべきだ」と大騒ぎしていましたが、「感染者がゼロにならない以上、ある程度のリスクを受け入れるしかない」「感染者が一桁台になるまで身動きができないわけではない」と考える人も増え、ウィズコロナの意識が根付きつつあるのでは、と感じています。
── 今、まさに求められていることは「試行錯誤」することから逃げない、諦めないことだと思います。
土居 大いに試行錯誤すればよいと思います。そのために今、我々に求められていることは「行政の無謬性」つまり「行政が間違うことはない、行政は間違ってはならない」という意識を払拭することです。
そもそも「行政の無謬性」は、行政・官僚が作り出した神話なのですが、いまだに多くのマスコミや国民がそれを信じ込んでおり、行政・官僚が間違うと、すぐに「責任者出てこい!」となる。国民の行政当局を見る眼が、それに捉われてしまうと、試行錯誤、特にウィズコロナの実践が非常に困難になります。
例えば、「3カ月前にはこう言いましたが、新しいエビデンスが出てきたので改めます」といったことが言いづらくなり、一度出した方針を改定しようものなら、たちまち非難を浴びてしまうことになる。
新型コロナは分からないことが多く、間違う可能性があるから「何も出さない、何も言わない」といったことに振れてしまっているのが現在の状況ではないでしょうか。
齊藤 国民が行政の試行錯誤を許容するための条件とは、万が一、間違いが起きたとしても「行政側がその判断を下すまでの過程において最善の努力をしていた」と国民側が納得できることだと思います。怠慢の結果ではなく、最善を尽くして、それでも起きてしまった過ちに関しては、おそらく国民は許すのではないかと思います。
物理的にゼロリスクを達成することができない状況においては、その努力を地道に伝え、知識や情報の共有を、行政と国民の間で繰り返していくしかないと思っています。
感染症対策の分科会のような場での議論の過程や検討結果について国民に丁寧に伝え、根気強くコミュニケーションを図れば、政府、国民双方にウィズコロナを乗り切る知恵が浮かんでくるはずです。