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2021年1月13日

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筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和史講義』(編著、ちくま新書)『帝都復興の時代』(中公文庫)など著書多数。
 

「新しい生活様式」は
近衛文麿首相時代にもあった

 こうして見ていくと、思い起こさざるを得ないのが戦前の30~40年代における近衛文麿首相時代のことである。

 40年春、ナチスドイツ軍は電撃戦でフランスはじめ欧州大陸を席巻、イギリスも陥落寸前という報道を全てのマスメディアがすると、国内では急速に近衛を首相に担ぎ出し、英米派を追放・新体制を作る動きが世論の大勢となっていった。有名な「バスに乗り遅れるな」ということが言われ、あっという間に第二次近衛内閣が成立、日独伊三国同盟締結、大政翼賛会へと進んでいったのである。

 有名な大政翼賛会というのはすべての政党が自ら解党し日本に政党がなくなったので仕方なく近衛は作らざるを得なかったというものであった。それは上から強制的に既存の政党を解散させ、無理やり作り出したものではない。詳しくは拙著『戦前日本のポピュリズム』(中公新書)を読んでもらうしかないが、日本では、欧州(世界)の大勢という外からの大きな力で作られたマスメディア・世論の同調圧力にはトップですら容易に抵抗できず、綱領も何もない大政翼賛会という「衛生組合のごときもの」を作らざるをえなかったのである。

 今回も欧米における圧倒的なコロナの「流行拡大」が日本に大きな影響を与え、緊急事態宣言を安倍前内閣が発出したときには「遅すぎだ」と言われる有様だったことはすでに述べたとおりである。

 そして、ナチスドイツの全権委任法などの強力な全体主義体制に比べると、当時の日本の国家総動員法や大政翼賛会は極めて緩いものであった。大政翼賛会のことはすでに見たが、国家総動員法も政党の反対が厳しい中やっと議会を通過させたがザル法で、それを厳しく進めようとする革新官僚の方が警戒され逮捕までされる有様であった。

 今回、欧米の強力なロックダウン体制に比べると、日本の緊急事態は非常に緩く国家権力の持っている強制力がはるかに弱かったのと同様であった。

 そして、この近衛時代にもその後は上からの強制は弱いのにもかかわらず「贅沢は敵だ」「パーマネントはやめよう」などの標語を他者に身近で強制する人々が現れる自粛時代となっていった。巡察隊が街に繰り出され、人々を検閲し新体制にふさわしい「新しき国民生活」を始めることが言われたのである。この点でも現代とあまり変わりなかった。

1940年8月の東京・銀座通りに設置された立て看板。標語が多い様子はコロナ禍の現代と同じ雰囲気に見て取れる (KINGENDAI PL/AFLO)

 すなわち、ともに政府を突き動かす形で国民の方から緊急事態を作り出し強制が実行されていったのである。戦前の歴史というと、憲兵や警察などの国家権力がいかに国民を弾圧していったかという風に語られることが多いが、(そうした面もなかったわけではないが)史実はそうではなかった面が強かったことを示している。実相は、下からの強力な圧力に抗しきれないままに日米戦争にまで至ったのである。マスメディアは開戦に慎重な東条英機内閣を「何をぐずぐずしているのか」と煽ったものであった。

 ここから言えることは,日本ではいつも上からの強権的な圧力よりも下からの湧出する力の方が強いということである。

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