補講 北朝鮮入門

2021年1月25日

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礒﨑敦仁 (いそざき・あつひと)

慶應義塾大学准教授

1975年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部中退。在学中、上海師範大学で中国語を学ぶ。慶應義塾大学大学院修士課程修了後、ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員、外務省専門分析員、警察大学校専門講師、東京大学非常勤講師、ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。慶應義塾大学専任講師を経て2015年から現職。共編に『北朝鮮と人間の安全保障』(慶應義塾大学出版会、2009年)など。

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澤田克己 (さわだ・かつみ)

毎日新聞記者、元ソウル支局長

1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11~15年ソウル支局。15~18年論説委員(朝鮮半島担当)。18年4月から外信部長。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『韓国「反日」の真相』(15年、文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)、『韓国新大統領 文在寅とは何者か』(17年、祥伝社)、『新版 北朝鮮入門』(17年、東洋経済新報社、礒﨑敦仁慶応義塾大准教授との共著)など。訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。

 北朝鮮の金正恩国務委員長は、バイデン米大統領の就任式を苦々しい思いで見ただろう。トップダウンでの派手な交渉を好んだトランプ前大統領に比べ、実務的なスタイルを好むバイデンは北朝鮮にとって手ごわい交渉相手である。

 そうした認識を反映したのが、米新政権発足を前に行われた第8回朝鮮労働党大会(1月5〜12日)の結果であった。早期の制裁解除は望めないという現実的な認識に基づき、当面は「自力更生」で乗り切ろうとする方針が示された。冷戦下だった金日成時代の社会主義体制への回帰という傾向が濃いものの、金日成よりは現実的な側面ものぞかせる。

 金正恩は今回、金日成、金正日が担っていた役職である党の総書記に「選出」された。金日成は党中央委員会総書記であるのに対し、金正日は党総書記で厳密には異なるポストであるが、金正恩の党総書記就任は、両者に並び立つ指導者であることを誇示するものだ。しかも、それにとどまらず独り立ち志向を強めていると言える。

(AP/アフロ)

会場から消えた金日成、金正日の肖像画

 金正恩は2011年12月、金正日の死去に伴って権力の座に就いた。翌年には金正日を「永遠の総書記、永遠の国防委員長」とした。金正日が、金日成を死後に「永遠の主席」とまつりあげたのと同じスタイルだ。「永遠の」は永久欠番とすることを意味し、祖先を敬う儒教社会の伝統に則ったものだと見られてきた。

 5年前の第7回党大会で党規約から「永遠の・・・」の部分は削除されたものの、今回の総書記就任は意外であった。金正恩は執権10年目にして、金日成、金正日と対等の地位にあるという自信を付けたのであろうか。ただ、党大会に続いて開かれた最高人民会議(国会に相当)で憲法を改正して「主席」ポストにも就くことは可能だったろうに、そうはしなかった。

 関連して注目されるのは、党大会の会場に金日成と金正日の肖像画が掲げられなかったことだ。第7回大会では両者の肖像画と党のマークが掲げられていたが、今回は党のマークだけだった。

 ただメイン会場以外には両者の肖像画が掲げられていたし、代表たちは金日成・金正日バッジを着用していた。金正恩は党大会で「偉大な象徴であり代表者」であると位置づけられたので、それを強調する意味合いだったのかもしれない。

 関連して想起されるのが、2019年の憲法改正である。この改正では、憲法第59条に金正恩の名前が「首班」として明記された。現役指導者の名前が憲法に入るのは、いかに北朝鮮でも初めてだった。金日成と金正日の名前が憲法に入ったのはそれぞれの死後で、しかも前文である。

 この時の改正では、金日成時代からの指導指針だった「主体思想」、金正日時代に掲げられた「先軍思想」という言葉も削除され、替わりに「偉大な金日成・金正日主義」という抽象的な言葉に置き換えられた。同年元日に金正恩が発表した「新年の辞」でも、金日成と金正日への言及は消えていた。

 金正恩の妹である金与正は政治局候補委員から外れ、役職も第一副部長から単なる副部長に格下げとなった。ただし、金正恩を筆頭とする中央委員の名簿では21番目となっているうえ、北朝鮮国営メディアが放送した映像からも健在ぶりがうかがえる。

 党大会閉幕日には韓国を非難する談話を出しており、少なくとも対南関係で従来通りの役割を果たしていることがうかがわれる。なにより金与正は「白頭の血統」と呼ばれる金一族の一員として特別な存在であり、他の幹部とは別個に考えなければいけない。政治局候補委員から外れたのはむしろ、形式的な会議出席という負担を軽減するための措置だった可能性すらある。

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