経済の常識 VS 政策の非常識

2021年3月17日

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原田 泰 (はらだ・ゆたか)

名古屋商科大学ビジネススクール教授

1974年東京大学農学部卒業、博士(経済学)。経済企画庁、大和総研チーフエコノミスト、早稲田大学特任教授などを経て、2015年から日本銀行政策委員会審議委員を5年間務めた。20年4月より現職。『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(新潮選書)など著書多数。
 

東日本大震災から10年経った宮城県石巻市(ZUMA Press/aflo)

 東日本大震災から10年たったということで、新聞各紙が復興政策の反省を特集している。共通しているのは、土地を切り崩して高台を作り、そこに被災者を住まわせるという高台移転は、お金と時間がかかって失敗だった、人々は高台の地域には戻らず、せっかく造った高台の住宅地が埋まっていない、人口が減少して半分も埋まっていない地域があり、旧市街地からガス、上下水道などのインフラが延びたことで維持費もかかり、地域の財政を圧迫している、ということなどだろう(「地域再生、ばらまき限界 復興「哲学変える必要あった」」日本経済新聞2021年3月9日、「維持費急増 悩む自治体…被災地インフラ」読売新聞2021年3月11日など)。

 報道機関はこれらのことを予想できなかったことのように書いているが、そうではない。身の丈に合わない過大な復興よりも既存市街地を利用することで早期に復興できることは、都市計画家、東日本大震災復興構想会議専門委員でもあった西郷真理子氏が最初に指摘したことであり、復興の壮大な無駄遣いは本誌が繰り返し批判してきたことである。

被害が大きかったのは新興市街地

 西郷真理子氏は、「東北の町では戦後市街地が拡大したが、人口は市街地の拡大ほど増大していない。これらの市の旧市街地はいずれも山裾のわずかに高い土地にある。ところが、戦後、市街地が低地にスプロール状に広がった。今回の津波で大きな被害を受けたのはスプロール状に広がった市街地である」と指摘している。

 図1は2010年の石巻市の津波浸水地域を、図2は1913年の石巻市の市街地と今回の津波被害の状況が分かる航空写真を示したものである(図1、図2とも西郷真理子氏提供)。見にくいのだが、図1と図2を比べると、1913年には中央の日向山の北東側に集中していた市街地が山の南側に広がっていたことが分かる(地図の上が北)。この市街地の拡大が分散的、スプロール状のものであったことも分かる。なぜ市街地が広がったかと言えば、高度成長時代、人口が増加していたからである。

 さらに図2で被害状況の航空写真を見ると、右側の航空写真に写っている旧市街地では建物が残っているが、左下の南側に広がった新市街地では広い範囲で壊滅的な被害を受けていることが分かる。もちろん、建物が残っていても被害は甚大で、住むことのできない住宅が多いのだが、建物が残っているということは、命は助かったということである。1階2メートルまで津波が入ると家は崩壊する。それ以下であれば家は残るので2階に居れば命は助かる。

 石巻市だけでなく、今回震災で大きな被害を受けた大船渡市、陸前高田市、気仙沼市など多くの町で、ほとんど同じことが言える。昔から住んでいる人々は津波の危険を知り、命の危険のないところに住んでいたのである。

図1 2010年の石巻市(西郷真理子氏提供、以下同) 写真を拡大
図2 1913年の石巻市と2011年の津波被害の状況 写真を拡大

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