2024年12月23日(月)

Wedge REPORT

2021年3月5日

 東北地方太平洋沖地震が2011年3月11日に発生した直後からの復興予算策定のすさまじさを、私は今でも鮮明に覚えている。

沿岸部を延々と覆う防潮堤は、震災後、新たに整備された(福島県いわき市) (THE MAINICHI NEWSPAPERS/AFLO)

 内閣府経済分析担当は、発災から間もない3月23日に物的ストック(インフラ・住宅・民間企業設備など)の毀損額でみた震災被害額が16兆円、最悪では25兆円という推計を発表した。4月1日には被害範囲が東日本全体に及んだかのような印象を与えた「東日本大震災」という名称が閣議決定された。復興政策の根幹を決めていく復興構想会議の第1回会合が4月14日に開かれた。五百旗頭真議長(当時)は、その冒頭、「16年前の悲惨(阪神・淡路大震災を指す)が可愛く思えるほど」と発言し、東日本大震災のすさまじさを強調した。内閣府防災担当は、6月24日に被害額総計が16兆9000億円に及ぶと公表した。阪神・淡路大震災においては当初5年間の復興予算規模9兆5000億円がストック被害額にほぼ等しかったが、政府は、7月29日に5年間19兆円という、被害推定額をも超える巨額な復興予算を決定した。

 しかし、復興予算の策定根拠とされた2つの被害額想定がきわめて過大であったことは、同時進行形で得られたデータを丹念に読んでいけば確認できた。消防庁は、発災直後から毎日、最初は1日に何回も被害報を発表していたが、建物被害は被災3県(岩手、宮城、福島)の沿岸市町村に集中し、内陸では限定的であったことは明らかであった。同様に、国土地理院は、4月18日に津波浸水範囲を電子地図で公開した。総務省統計局は、その電子地図と05年国勢調査の電子地理情報を重ね合わせて被災人口を推計し、4月25日に発表した。

 こうした情報を積み重ねていけば、震災被害の範囲が限定的であったことは明白だった。しかし、被害規模を超える膨大な復興予算が投じられたことから、被災人口一人当たりの予算額は、東日本大震災が、阪神・淡路大震災の約5倍にも達した。

 なぜ、復興予算策定において、財政規律が棚上げにされ、過大な見積もりとなってしまったのか。その政策決定に対して、職を賭して反対する政治家も、官僚も、学者も出てこなかった。荒唐無稽な復興予算が国家百年の計を歪めるものであれば、そうした人々が出てきてもおかしくなかった。おそらくは、復興予算に強く反対した人々の間でさえも、5年間19兆円ぐらいは「大丈夫!(極端なインフレや金利変動は起こらないはずだ)」という確信があったのだろう。まさに、広範な人々の間で財政規律が破綻していた。

 今般の新型コロナウイルスの感染拡大危機においては、財政規律の欠如がいっそう深刻であった。10万円の定額給付に12兆8803億円の予算を投じても、表立って反対した者はいなかった。日頃、財政規律を重視する学者であっても、コロナ危機への対応では、数兆~数十兆円単位の予算を平気で口にする者が少なくなかった。その根底には、同じく「大丈夫!」という確信があったのではないか。

 こうした態度は、1995年1月17日に発災した阪神・淡路大震災と大きく異なっていた。当時の大蔵省は、住宅などの私財の再建に1円の公的資金を投じることさえ、決して首を縦に振らなかった。大蔵省だけではなく、日本社会党出身の村山富市首相(当時)も、国会で「自然災害被害は個人補償をしない、自助努力が原則」という趣旨の発言をした。

 もちろん、阪神・淡路大震災への政策対応とのコントラストには、政治家の能力劣化、財務省の地位低下、学者の見識不足、さらにはポピュリズムの高まりを指摘することは容易である。

 しかし、そうした社会的要因を云々したところで、「荒唐無稽の予算を発動しても『大丈夫!』であった」理由を説明できない。事実、東日本大震災から10年が経過しても、新型コロナ危機対応で財政赤字を垂れ流し続けても、長期金利も、物価も何事もなかったかのように安定している。2011年3月や20年の1年は、1995年1月と何が違ったのであろうか。


新着記事

»もっと見る