Wedge REPORT

2021年3月5日

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齊藤 誠 (さいとう・まこと)

名古屋大学大学院経済学研究科教授

専門はマクロ経済学、金融論等。マサチューセッツ工科大学経済学部博士課程修了。住友信託銀行調査部、一橋大学大学院経済学研究科教授等を経て現職。著書に『震災復興の政治経済学』(日本評論社、2015年)、『危機の領域』(勁草書房、2018年)など。

「トリプル・ゼロ」がもたらす
国債返済先送りは永遠に続くか

 「国債は税で返済する必要がない」という意識が人々の間に浸透していくと、非常に不思議な感覚が社会全体に生まれてくる。

 本来ならば、国民は国債の保有者であると同時に、その返済者でもある。その場合、国債は債権であると同時に債務でもある。国民は、国債発行によってメリットを享受した時点から、将来の元利返済義務を負うことになる。そういった認識のもとでは、債権と債務が相殺されるので、国債は国民にとって純資産とはなりえない。


 しかし、「国債は税で返済する必要がない」というのであれば、国債は、国民にとって純然たる資産となる。国債そのものだけでなく、その背後にある公的資産も、公的サービスも、公的事業も、国民負担を伴わない国民の富と認識される。

 国民も、政治家も、官僚も、そんな感覚にすっぽりと飲み込まれれば、自然災害であれ、パンデミックであれ、経済混乱であれ、そして戦争であれ、財政規律を棚上げにしてでも、それらの危機に果敢に立ち向かうことこそが社会の豊かさを維持することにつながると錯覚してしまうであろう。

 それでは、トリプル・ゼロが崩れてしまい、国債返済を先送りすることができなくなるような財政危機は、「想定外」として私たちの意識の彼方に追い払ってしまってよいのであろうか。東京電力福島第一原子力発電所事故調査・検証委員会の畑村洋太郎委員長(当時)は、「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる」と述べている。財政危機も、そのように考えて「想定内」とすべきではないか。

 金利上昇や物価高騰を伴う財政危機のきっかけとしては、国家の年々の財政が国内の年々の貯蓄でまかなうことができなくなるような事態が考えられる。たとえば、首都直下地震の経済的被害は3年分の民間貯蓄(100兆円以上)に匹敵すると予想されている。地震調査研究推進本部によると、首都直下地震の発生確率は年4%である。すると、それを契機とする財政危機は、十中八九、来年に起きることはない。しかし、10年内に3割強、30年内に7割、50年内に9割弱の確率で起きることになる。

 日本経済にとってさらに辛いことに、トリプル・ゼロが継続する経済は、先述の通り、技術進歩が停滞している経済である。危機打開策は豊かさへの第一歩のはずが、経済停滞の継続を大前提として打開策が講じられるのは矛盾であると同時に悲劇ではないか。

 振り返れば、日本の経済力をはるかに超えて遂行された先の大戦でも、「累増する公債には大東亜共栄圏という見合いの資産がある。返済の心配など無用」という屁理屈が、軍部どころか財政当局からも語られた。私には、現在が戦中と不思議に共鳴しているように感じられる。

 国民一人10万円の定額給付が決まった昨春も、そんなことを考えていたが、財政危機を「想定内」としていた者が身近にいた。85歳になった母は、少し前に話したことも忘れてしまうような人である。

 しかし、母に特別定額給付金のことを話すと顔が硬直し、「国から10万円を借りて、後からいくら返すの? 20万円? 30万円?」と私に聞いてきた。私は、「後になっても返す必要などないのだよ」と母に嘘をついたが、母は納得しなかった。母には、「国からもらう」という意識など微塵もなかったのである。終戦の年にわずか10歳であった母にも、物価高騰、預金封鎖、重税で戦争の後始末に翻弄された私の祖父母や伯父たちにまつわる75年前の記憶が今でも残っているのであろう。

「想定外」を「想定内」とし
危機対応の行動計画を策定せよ

 こうして見てくると、財政規律が棚上げにされて危機対応がなされてきた現状について再検証する必要がある。発災後に財政規律が欠落したままで被害規模が膨張していく事態に対しては、あくまで科学的な根拠で地道に丁寧に対応していく必要があろう。東日本大震災当時の被害想定が過大になった理由の1つには、現地踏査を怠ったことがあった。しかし、地上から近づくことが難しくても、飛行機やドローンで接近は可能であろう。

 前もって実施される危機対策については、財政事情を考慮しないままに国土強靭化を旗印に、地域によっては必要性が乏しい防潮堤などの箱物建設が優先されがちである。しかし、もっとも重要なのは、危機の前に危機対応の手順を定めた行動計画を策定し、その行動計画に沿って防災訓練を徹底することである。あらかじめ定めた行動計画にのっとって粛々と行動をとる。そうした実践こそが、「想定外」を「想定内」とする真の危機対応だと思う。

Wedge3月号では、以下の特集を組んでいます。全国の書店や駅売店、アマゾンなどでお買い求めいただけます。
■「想定外」の災害にも〝揺るがぬ〟国をつくるには
Contents     20XX年大災害 我々の備えは十分か?
Photo Report     岩手、宮城、福島 復興ロードから見た10年後の姿

Part 1    「真に必要な」インフラ整備と運用で次なる大災害に備えよ  
Part 2     大幅に遅れた高台移転事業 市町村には荷が重すぎた             
Part 3     行政依存やめ「あなた」が備える それが日本の防災の原点      
Part 4   過剰な予算を投じた復興 財政危機は「想定外」と言えるのか   
Part 5     その「起業支援」はうまくいかない 創業者を本気で育てよ          
Part 6   〝常態化〟した自衛隊の災害派遣 これで「有事」に対応できるか

  
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◆Wedge2021年3月号より

 

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