2024年4月25日(木)

補講 北朝鮮入門

2021年4月9日

 北朝鮮が「五輪を成功させたい」という思いを共有していたわけではない。核弾頭とICBMの技術開発を進めて有利な立場を得た上で米韓両国との対話に乗り出そうとしていた節があり、ちょうどいい時期に開かれる平昌五輪を足場に使ったと言える。

 北朝鮮は結局、平昌五輪に選手団を派遣したことで融和ムードの演出に成功した。韓国との首脳会談開催に合意し、さらには韓国を仲介者にする形で米国との首脳会談まで実現させた。金正恩にとっては、金日成、金正日という過去の指導者が望んでもかなわなかった超大国との「対等な」交渉を実現させたことになり、国内で威信を高める効果も大きかった。

 一方でトランプ前米大統領とのディールで制裁緩和を引き出そうという目論みは、失敗に終わった。バイデン米政権はいま対北朝鮮政策の見直しを進めているので、北朝鮮としてはその結果を見ながら対米戦略を練り直す必要がある。しかし、バイデン政権がトランプ政権と同じような交渉姿勢を取るとは考えづらい。それならば東京五輪を契機に首脳会談を開いたとしても、北朝鮮にとってメリットは少ない。

 金正恩や妹・金与正氏の開会式参加は選手団とは別個の問題ではあるものの、韓国の「夢」に付き合う気はないということだ。北朝鮮の不参加表明が国際社会に衝撃を与えるとも考えづらいし、米国の対北朝鮮政策に大きな影響を与えることもない。菅政権にとっては「なんとしてでも五輪を開くこと」が最大の目標だ。そもそも開けなければ、北朝鮮が参加の意思を持っていても何の意味もない。米国が来年の北京冬季五輪ボイコットを匂わせるのとは衝撃度が全く違う。北朝鮮が五輪参加を「カード」として使えるような環境にはないし、そんなことを考えているとも思えないのである。

 実際に、3年前とは異なり、金正恩は今年の五輪について一度も発言したことがない。それどころか、今回の不参加表明は、あくまでも「第32回オリンピック競技大会」への不参加表明であって、それが東京で開催されるという事実さえ、自国民には一切公表していないのである。

スポーツを重視してきた金正恩政権

 ただスポーツでの国威発揚を重視する金正恩政権にとって、不参加決定は不本意なものだった可能性が高い。過去のボイコットに焦点を当てた報道も見られたが、冷戦中の出来事との直接的な比較は乱暴すぎる。

 北朝鮮は、前回の東京五輪にも参加する予定だったが、選手の参加資格をめぐって国際オリンピック委員会(IOC)と対立して直前にボイコット。結局、夏季五輪の初参加は72年ミュンヘン大会となった。北朝鮮はこの大会で、金メダル1、銀1、銅3という成績を残した。

 東側諸国がそろってボイコットした84年ロサンゼルス五輪と、次のソウル五輪には選手団を送らなかったが、それ以外の夏季五輪にはすべて参加している。「苦難の行軍」と呼ばれる1990年代後半の経済危機の影響からか2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪では金メダルがゼロだったものの、2008年北京五輪では金メダル2個、2012年ロンドン五輪では金4個、2016年リオ五輪では金2個という成績を挙げた。

 特に、金正恩政権はスポーツを重視してきた。金正日の死去によって金正恩が権力の座に就いた翌年である2012年には、「スポーツ強国を目指す」という方針を打ち出して国家体育指導委員会という組織を発足させた。初代委員長となったのは、当時は後見役として権勢を振るっていた叔父の張成沢(チャン・ソンテク)である。今年1月に開催された朝鮮労働党の第8回大会で金正恩は、「スポーツ熱風を起こすための積極的な事業を展開」して、「尊厳高いわが国家の権威と地位に合わせて果敢な奮発でわが国を体育先進国の隊列に入れる」ことなどを指示している。

 日本や韓国で考えられるような国威発揚という効果だけではない。北朝鮮のような体制でも指導者は大衆からの人気を得たいと考え、そのために自らの好みを活用する傾向にあるのだ。金正日の場合には、映画や音楽などの芸術面でリーダーシップを発揮して新しい風を吹かすことで社会への浸透を図った。日本の植民地支配への抵抗闘争に参加した「建国の父」である金日成のようなカリスマ性がない2代目、3代目にとっては切実な問題だ。

 金正恩の場合は、スポーツである。10代でスイスに留学していた時には自らバスケットボールをプレーしていた。米プロバスケットボールNBAのファンであり、2014年1月の自身の誕生日には元NBAのスター選手であるデニス・ロッドマンを招いている。

 政権交代のない北朝鮮では、中長期的な視野で政策を編むことができる。東京五輪に参加しなくても、わずか10か月後には北京で冬季五輪があるし、3年後にはパリ五輪も予定されている。金正恩政権としては、そこで自国の選手が活躍すれば良いということになる。


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