丘陵地にある土地は、ワイナリーの密集するワイン街道沿いよりも標高が高いことで昼の陽射しは強く夜間の気温は低い。よりいいぶどうができる可能性を秘めていた。いいワインはいいぶどうからといわれる。辻本の中に生まれかけていたカルトワインへの思いを、この土地が育むかもしれない。ワイナリーへの道は、そんな壮大な予感を母胎に、手付かずの山を開墾して畑を作ることから一歩を踏み出した。1998年のことである。3年後に初収穫を終え、出来上がったワインはおいしかった。試飲した辻本はそう思った。が、カルトワインには届かない。ぶどうに最適の土地で、最高のワインをつくるために迎え入れたぶどう栽培家のデイビッド・アブリューは、1から畑を造り直すことを求めた。それは、やっと実をつけるまでに成長した14万本の木をすべて抜くということを意味する。そして辻本は、その提案を受け入れた。
「2メートルくらい掘り返して、小石1つないように丁寧に取り除き、水はけの方向も考え、まず最高の畑を作る。当時50代後半という年齢を考えると、また5年も6年も時間がかかるってことはしんどい。自分の人生でこの5年はやはりつらかった。でも、そこで徹底的に踏ん張ることがこの先何百年の基礎になると思って決断しました」
最高の畑を作りたいアブリューの熱意と、最高のワインをつくりたい辻本の熱意が重なり、そこにワインづくりの女王と評価の高い醸造家のハイディ・バレットが加わった。
「高い能力を持つクリエーターが最もいい仕事をする環境を作り、優れた作品をプロデュースするのが私の役目。20世紀はモノさえ作れば何でも売れる時代だったけど、21世紀は本当にいいものだけが生き残れる。初めてにしてはいいものができたなんてことで喜んでたらダメで、最初から最高のものを作らないと先には進めないということです。ゲームも同じ。何百億の開発費をかけてもいいものができなかったら捨てる」
ゲームとワイン。一見、全く異なる2つの事業に通底する辻本の信念が浮かび上がったように思えた。高い目標を掲げ、自らに妥協を許さず、時間に耐える。厳しく長いその道のりを支えるものは、自らの内に燃える“焔”だと辻本はいう。