この熱き人々

2012年10月30日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

逆境からのスタート

 辻本の心に、最初に“焔”がチラチラと燃え出したのは、おそらく中学2年の時だったのではないだろうか。この年、父親を亡くした。母親とまだ小学生の弟2人を抱えた長男の辻本に、全日制高校進学の道は消えた。昼間働き、定時制高校に通う。

 「どうやってこの先、生きていこうかと考えた時、大学出の多いサラリーマンにはならないと決めた。それなら商売で生きるしかない。商売でも、資本も信用もすでに築いているとこと勝負しても勝てない。何か新しいところで勝負しようと思いました」

 人一倍勝気な辻本が、どんな思いで自らの背負った運命を生きていたのだろうかと思うが、大変やったといいながら当時を語る辻本の言葉はカラッと明るい。人は他人が恵まれ自分が恵まれなかったことをハンディと考えがちだが、辻本は「オヤジがなまじお金なんか残していたらえらいことだった。3日働かなければ死んじゃうぞという大変な財産を残してくれたってことやね」という。19歳で定時制高校を卒業した辻本が、卒業記念の寄せ書きに残した言葉は“逆境とは誇り高きものなり”。

 逆境だという認識はあったのだ。でも、敢然とそれを受け入れ、昂然と顔を上げて向かっていく時、逆境そのものが光源に変わる。現実の暗さから目をそむけたまま嫌なことを忘れたり気を取り直して辛うじて保つ危うい明るさではなく、そのつらさや重さから目を離さずになお人生を肯定的に生きる。そんな本来の意味での楽天性こそが、決して枯れることのない辻本のバイタリティーの源なのかもしれない。

 高校卒業後、伯父が経営していた菓子卸業を譲り受け「辻本商店」と名付け、それが最初の社長業。が、元手がないから借金して菓子を売り歩いても、借金がかさむだけで第1弾は見事に失敗。スーパーマーケットができ始めた頃で、菓子の卸は先細る分野だと分析し、地元奈良から大阪に出て菓子の小売を始めた。ここで店先の綿あめに列をなす子どもを見て、子どもが目を輝かせているのは綿あめそのものではなく、綿あめができる過程であり綿あめ製造機だと気づいた辻本は、綿あめ製造機を仕入れて車に積んで鹿児島まで売り歩いた。カラになった車に販売を頼まれたパチンコ改造機を載せて売りながら帰る。子どもの遊び向けに改造したパチンコは、綿あめ製造機よりもよく売れた。この仕事が、辻本とエンターテインメントビジネスをつなぐきっかけになった。

 人は衣食が足りたら次に求めるのは娯楽。先を読んで遊技機のレンタルや販売の会社アイ・ピー・エムを起業したのが33歳。この会社は、辻本に大成功と大失敗の2つの経験をもたらした。喫茶店でのインベーダーゲームは社会現象となり売れに売れたものの、潮目は1気に変わってブームが去ると在庫の山。その責任を負って自分の作った会社を去った辻本は、半年後にカプコンを創業。失敗の教訓を胸に1から出直し、カプコンを十数か所の海外拠点を持つ世界的な企業に育て上げたのである。

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