経済と社会の双方で「大きな政府」化したブッシュ政権への反発が、ティーパーティの初期です。ランド・ポール連邦上院議員は、父のロン・ポール連邦下院議員の2008年大統領選挙が、ティーパーティ運動の起源だと定義しています。
そして、運動の2期は「反オバマ」です。2009年に誕生したオバマ政権の大型景気刺激策、医療保険改革、GM救済など「大きな政府」の諸政策に反発する草の根保守派のエネルギーが、ティーパーティを全国運動に昇華させました。純粋な「小さな政府」運動に、オバマ政権に不満を抱く宗教保守や雑多な保守が入り込んできました。
そのため2010年の中間選挙前後から、ティーパーティ内で社会争点と外交争点で分裂が顕著になります。1つは、リバタリアン系と宗教保守系の対立。前者は憲法修正10条運動を重視して、中絶とか麻薬の自由とか価値問題は州の判断だと。善悪の判断を道徳的には下しません。後者は、もちろん聖書で判断を決める。
——外交争点としては?
渡辺氏:外交では対外関与派が、宗教保守と共同歩調で、親イスラエルの立場から中東にアメリカが積極介入すべきだとして、孤立主義的な非介入路線のポール派と分裂しました。サントラムやロムニーは総じてイラン制裁に強硬路線ですが、ポールだけが融和的な姿勢です。
そして、第3期の現在ですが、ポールを当初から支えてきた活動家の多くは、ティーパーティを名乗らなくなりました。1年前には「私はティーパーティです」と嬉しそうに語っていたポール支持者は、「ティーパーティは乗っ取られた。ティーパーティの話は不愉快だ」と言う。一方、共和党主流派はポールの運動をますます嫌っています。
ティーパーティ運動には地域性があります。南部や東部、中西部のティーパーティーでは運動の性格が違います。たとえば、アリゾナやニューメキシコではヒスパニック系移民の問題があり、反移民が大きなテーマになる。南部のティーパーティーにとっては宗教問題が大きい。
ティーパーティー運動を一元的に捉えることは難しい。確定した主義や組織と捉えないほうがいい。まさに運動であり、絶えず変容し続けていて動いているものだと捉えるのがいいと思います。ティーパーティがもたらす分裂の火種に本書では、ティーパーティ活動家の素顔に触れることで迫りました。
――本書の中で「分裂の混合として存在するのが、アメリカの望ましい大統領象をめぐる分裂である」と書かれていますが、アメリカ人にとって大統領とは?
渡辺氏:アメリカの大統領というのは、イギリスの国王と首相が合わさったような存在です。単に政治的な能力だけでなく、同時代の国民がある意味では党派を超えて尊敬できる対象である必要がある。だから配偶者や兄弟も全国党大会で演説しますし、ファースト・ファミリーが壇上に上がる。この一家が「アメリカの顔です。代表です」と言えるかどうかが鍵で、そのため大統領選の投票行動基準は、ほかの選挙と少し違います。