しかも、超法規的措置は、そのような措置があり得ると、予め手続法として定められていなければならない。中部電力浜岡原発の停止が首相の「要請」によってなされたのは、定めがないことの証左である。
今冬の電力需給は厳しい。特に北海道は道経済産業局長が「計画停電の発生を想定し準備すべき」と発言するほどである。北海道電力泊原発の再稼働が不可欠だが、報道によれば、田中委員長に現行基準(もしくは関西電力大飯原発の再稼働に適用した暫定基準)を用いて安全性を判断する考えはない。事実上泊の再稼働は封じられている。国民経済社会の安定に責任を持つ政府は、規制委に現行基準による安全性判断を求めるのが正しい。それが規制委発足を遅らせた政治・行政の償い方である。
原発停止により、年間約3兆円強が代替火力発電の燃料費として資源国に流出した。電力会社各社は赤字に陥り、大幅な値上げを検討している。これだけの国富を流出させる政治とは一体何なのか。最善は“人治”から“法治”に戻すことである。
原発ゼロ戦略の矛盾と迷走
「2030年代に原発ゼロ」とした革新的エネルギー・環境戦略(以下、新戦略)。内閣官房国家戦略室が事務局を務めるエネルギー・環境会議で決定されたものの、その上部会議である国家戦略会議が承認せず、閣議決定からも外された。「柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という閣議決定文は原発ゼロ取り止めと同義だ。
この新戦略、経済産業省在籍時にエネルギー受給見通しや電力・ガス改革に携わった経験のある筆者からすれば、とても官僚がチェックしたとは思えない中身だ。あちこちに自己矛盾が露呈している。
例えば、震災後に工事を中断した電源開発大間原発や中国電力島根原発3号機。建設再開を止めれば国家賠償が起きる可能性を考慮しなかったのだろうか。これらの原発に運転期間40年を適用すれば50年代まで稼働できることになるのに、平気で「30年代原発ゼロ」と書き込んだ。
酷かったのは、使用済み燃料を再利用する核燃料サイクル政策との不整合だ。再処理撤退となると、青森県の中間貯蔵施設や再処理工場にある使用済み燃料を引き取らなければならなくなる。だから新戦略には再処理継続を盛り込んだのだろうが、これには米国が噛み付いたことになっている。