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2021年6月1日

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藤原章生 (ふじわら・あきお)

記者・作家

記者・作家。北海道大学工学部卒。1989年より毎日新聞記者。ヨハネスブルク、メキシコ市、ローマなどに駐在。2005年、『絵はがきにされた少年』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『ぶらっとヒマラヤ』(毎日新聞出版)。
 

 

「馬に乗れる中国人」

 パク・ホン氏のこだわりを読んでいて、私は以前書いた「馬に乗れる中国人」という言葉を思い出した。

 2000年代の初頭、アルゼンチンのブエノスアイレスで会った日系2世の男性、アンドレスさんから聞いた言葉だ。

 彼は父親が日本人で母親がフランス系のアルゼンチン人で、私には日系人には見えなかった。街のどこにでもいる「普通のアルゼンチンの若者」に思えたが、彼に言わせれば、「どう自分で考えようが、何を主張しようが、自分はアルゼンチン人の目から見たら明らかなチーノ(中国人)」となる。

 ここで言うチーノは東洋人全般を指す。インドなど南アジア系はまず含まれないが、顔だちが中国、日本人と似ているネパールやチベット人、そして東南アジアのタイ人やベトナム人、フィリピン人もそこに含まれる。厳密な線引きはない。彼らに言わせれば「チーノは全部チーノ」なのだ。

 彼はチーノと呼ばれるのを嘆いているのではない。幼い頃からそう言われてきたし、時にからかわれることもあったが、そんなことにはすっかり慣れている。

 20代後半の彼がつきあう相手は恋人も含め、欧州系のアルゼンチン人だ。そんな仲間と山に行った時のエピソードをこう語った。

 「アルゼンチン人は山や原野に行くと、馬に乗りたがる。そこで、僕がうまく馬を操ると、『中国人なのに馬に乗れるじゃないか』ってみんな驚くんだ。それで僕は、『馬に乗れる中国人』と言われるようになる。で、仮に僕が乗馬の選手になって誰よりも上手に馬を手なずけられても、僕の呼び名は変わらない。『馬に乗れる中国人』のままだ」

 彼は不平を言っているのではない。それが現実だと言っているにすぎない。大半のアルゼンチン人の目にはそう見えてしまい、それは覆しようのないことなんだと。

 では、なぜ彼はこんな話を私にしたのか。彼にアルゼンチンの第一印象を聞かれた私が、当時暮らしていたメキシコや、よく訪ねるペルーと比べても、「よそ者を排除するムードが薄い感じがする」と答えたからだ。

 その一例として、その時知り合った日本人のタンゴダンサーの言葉を彼に紹介した。「アルゼンチンでは、国籍など関係なく実力だけで評価される。日本人だから、といった目で見られることはない」

 そこまで聞くと、アンドレスさんは苦笑いし、「馬に乗れる中国人」の話を始めた。

タンゴをうまく踊れる中国娘

 「多分、そのダンサーはとても優れた人なのだろう。でも彼女がどんなに上手でも、どんなにアルゼンチン人のように踊っても、彼女は『タンゴをうまく踊れる中国娘』のままだ。それは未来永劫ついてくる。もちろん、表立って誰もそんなことは言わない。でもそうなんだ」

 アンドレスさんは現実を淡々と語るだけで、その良し悪しを述べているわけではない。そこが私にはとても新鮮に思えた。

 そういう風に世間を眺め、自分の置かれた立場を鳥瞰していれば、自分の外見や出自、人種的なストレスを感じることも少ないだろう。

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