2022年12月4日(日)

WEDGE REPORT

2021年6月1日

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藤原章生 (ふじわら・あきお)

記者・作家

記者・作家。北海道大学工学部卒。1989年より毎日新聞記者。ヨハネスブルク、メキシコ市、ローマなどに駐在。2005年、『絵はがきにされた少年』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『ぶらっとヒマラヤ』(毎日新聞出版)。
 

 

我傷つく、ゆえに我あり
私の本はその傷みの大きさで計られる

 「マイナー・フィーリングズ」を著したパク・ホンさんは、アンドレスさんとは全く逆に思えた。彼女は何を書いても「アジア系」と見られるのがたまらないのだ。

 <エスニック文学の企画は必ずヒューマニストの企画になる。そこでは非白人の作家たちが自分たちも傷みを感じる人間であると言い続けなければならない。本の中の「私」が単なる「私」になれる未来はあるのだろうか。自分たちも傷みを感じる人間であると訴えるエスニシティーをまるごと抱えた「私」でない、ただの「私」。そんな未来はないような気がする。だから、我傷つく、ゆえに我あり。私の本はその傷みの大きさで計られる。もしそれが2くらいなら、話すほどの価値はない。もし10なら、ベストセラーになる>

 「傷ついたアジア系の私」という枠から決して抜け出せない。

 羽目を外しドラッグやセックスにはまり、自分の内面をえぐり出すような作品があったとしても、その主人公がアジア系なら、どうしたって移民やアイデンティティーの問題と絡めた目で見られてしまう。

 <自分の欠点を隠さずに何もかもさらすような本を書いてきた白人男性の作家たち、例えばフィリップ・ロスやカール・オーヴェ・クナウスゴールといった存在は昔からずっともてはやされてきた。読者は白人男性作家が不良のようにふるまうのを楽しむようだが、マイノリティー作家は逆にいつも良い子であらねばならない>

 戦後の米国文学を代表するような作品にも、パク・ホン氏はなじめない。

 <9年生(日本の中学3年)の時の教師が、私たちはみな「ライ麦畑でつかまえて」と恋に落ちる、と言った。私はサリンジャーの読みづらく散漫な文章を読みながら、恋に落ちる瞬間を待ったが、結局いらついただけで終わった。主人公のホールデン・コールフィールドはただの金持ちの高校生で、年寄りのように世の中をのろい、水のようにお金を使い、どこに行くのもタクシーを使う。彼はれっきとしたクズで、彼がフォニー(にせもの)と馬鹿にする同級生と同じくらい傲慢なやつだ。その特権ぶりはまだしも、彼の子供時代へのこだわりは、私の目からすればまるで宇宙人のようだ。私は自分の幼少期など、できるだけ早く過去に追いやりたかった。なのに、このホールデンはなぜいつまでも成長したがらないのか?>

 サリンジャーの小説に限らず、アメリカ文学の主人公である「白人の男たち」の心に、どうして全米の子供たちは「恋に落ち」なくてはならないのか。

 白人男性とアジア系女性。同じ国に生きながら、全く違う世界に暮らす人間に人はどこまで感情移入できるのか。では、日本の読者はどうだろう。フォークナーの、ヘミングウェーの、スコット・フィッツジェラルドの、あるいはカート・ヴォネカットの、レイモンド・カーバーの主人公たちにどこまで入り込めるのだろう。それを、自分の問題として引き受けることがどこまでできるのだろう。

 より気持ちが入るとすれば、むしろ、戦後間もない頃の日系人の人種的葛藤を描いたジョン・オカダの「ノーノー・ボーイ」ではないか。

 パク・ホンの言葉は読む者にそんなことまで考えさせる。

つづく

  
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