2024年12月22日(日)

WEDGE REPORT

2020年7月14日

© Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

 13歳の少年の肩にそっと乗り、あるいは少し高みから追いかけ、静かにその心を映し出す。ベルギーの映画監督、ダルエンヌ兄弟のカンヌ映画祭監督賞受賞作「その手に触れるまで」(2019年、ベルギー、フランス合作)は誰もが通りすぎたはずの思春期、13歳という「時代」を如実に描いている。

 作品はここ最近の日本映画、しかも国内の映画賞を受ける作品群とは全く逆の趣味と言える。余計なBGMや音響効果、誘導的な場面展開や過剰演出、絶叫調や説明的なセリフを一切省いた映像は一見、ハンディカメラによるホームビデオのように簡素な作品と思わせる。このため、見る側は「さあ、映画を観るぞ」と身構えず画面に入り、気づいてみたら、ごくごく素直に少年の気持ちに取り込まれている。

 物語は簡潔だ。

© Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

 「若いアメッド」という原題の通り、主人公はベルギーに暮らす13歳の少年アメッドで、冒頭の場面から内気そうな彼がイスラム教に深く傾倒している様子がわかる。彼はアラブ諸国かトルコ移民の3世か4世で、学校でも家でもフランス語を使い、コーランや課外授業でアラビア語を学んでいる。

 すぐ年上の兄の信心の薄さにいら立ち、素肌の見える服装をする姉を嫌悪し、ベールを被らずイスラムの教えから離れていく母親を「飲んだくれ」と批判する。いわば家でただ一人の原理主義者、アメッドは反抗期の子供のようなやっかいな存在だ。

 彼が唯ひとり尊敬しているのは食品店の二階をモスクにしている原理主義者的な中年のイマーム(宗教指導者)で、彼の導きから、アメッドは幼い頃から世話になってきたイネス先生にナイフを向ける。

 逃げた先のイマームは少年をかばうどころか、自身に教唆の罪がかからないよう「私は何も言っていない。そうだな?」とアメッドに口裏合わせを迫る始末。ひとり少年院に送られたアメッドはさらに自分を閉じていき、面会に来るイネス先生を刺そう企て、ついに移動中の車から逃げ出し、先生の家に入り込む。

 ここでは、見事としかいいようのない結末には触れずに、作品の力強さを考えてみたい。

© Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

 一つには主人公役の表現力がある。ベルギーに暮らすイスラムの少年というとマイノリティーの人権をめぐる社会派の映画と思われがちだが、そんなことよりも、100人の候補から選ばれたという2005年生まれの俳優、イディル・ベン・アディの人間性、たたずまいに引き込まれる。

 イスラム過激派に入信する少年の心理を見事に映したとも言えるが、それだけではない。この年齢にありがちな過剰なほどの純粋さ、潔癖さという、欧州であれイスラム圏であれ日本であれ普遍的な思春期ならではのありようを彼が体現している。

 家まで送りに来た恋人とキスをする姉を不快に思いながらも聞き耳を立て、父母会でイネス先生について「先生の新しい恋人はユダヤ人でしょ」と言い捨てる場面がある。

 イスラムへの強い傾倒ともとれるが、これは13歳の少年少女にありがちな性的なことに対する虫唾が走るほどの嫌悪感を映している。

 農場で出会った同じ年頃の少女にキスされ、直後必死になって口を洗い祈りを捧げるのも、イスラムだからという話ではないだろう。この年頃の少年少女特有の潔癖さがそうさせるのだ。実際、彼は性的なことに惹かれており、それを認めたくないため、セクシャルな考えを一切排除する純な方へと自分を傾けざるを得ないのだ。

 終始、塞ぎがち、うつむきがちなアメッドの表情は、多くの人々に自身の思春期独特のムードを思い出させるはずだ。


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