2024年11月24日(日)

ウェッジ新刊インタビュー

2012年10月31日

──ズバリ、党大会での目玉人事はあるのでしょうか?

富坂氏:実は、いま現在でも、党指導部が7人になるのか、9人になるのか、はっきりしていません。さすがに決まっていると思いますが‥‥。これが、世界が中国に穴をあける限界なんでしょう。

 今回は、私も含めほとんどのメディアが、党大会が延期になるとは思っていなかったんです。10月に開くことができなかったということについては、明らかに指導部の汚点ですし、自分たちの弱さを見せたと言ってもいいでしょうね。延期の理由は、薄煕来問題が6、日本との問題が4。権力交代期には何かが起きると言われてきましたが、今回は大型爆弾がふたつ落ちた感じですね。

 人事の話に戻ると、揉めてはいるものの、日本人にとっては理解できない揉め方じゃないでしょうか。これは、時間をかけなければわからないことです。ひとつ言えるのは、派閥で争っているわけではないということですね。

著者:富坂聰氏 (撮影:ウェッジ編集部)

──富坂さんは、中国の人事や政変を派閥でとらえていらっしゃいませんが、そのことについてお聞かせください。

富坂氏:以前、某誌で中国の権力分析をやっていたんですが、やっているうちに、ずいぶんいい加減だなぁと気づいたんですよ。これ、どっちにも入らないとか、新しい人が出てくると関係がすぐ変わる。当時は、中国が社会主義か資本主義かということで迷った時代だったんですが、そんな派閥分けでおさまらないなと感じたんです。

 たとえば、楊尚昆という人がいたんですが、彼は天安門事件後に保守派の巨頭として生き続けたんですよね。保守の中の保守。まちがいなく、趙紫陽の後継人とされていました。その彼を、保守派の中の保守派として位置づけるのはどうなんだ? と思ったんですよね。

 また、保守派と改革派が対立していたという中で陳雲と鄧小平が挙げられるかと思いますが、陳雲につながる人から失脚した人が一人もいない。これでは、派閥のストーリーとして成り立ちませんよね。


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