ただ、派閥で考えるのには理由があるんですよ。それは、中国があまりにも広すぎて、どこを走って良いかわからないからです。特に新聞のような限られた紙面では、ある種の公式が必要だと思います。ただ、そういう場合に、たとえば太子党の説明(どういう成り立ちか、党内でどう利害を共有しているのか等)をできる人はいないんですよね。ですから、長いものを書ける媒体で仕事をしている人が、派閥という公式にとらわれないで書いていくべきだと思いますよ。
派閥に関連することかもしれませんが、これからの10年を引っ張っていく習近平は二世と言われていますね。しかし、これは日本人がイメージする二世とはまったく違います。日本では二世というと、幼い頃から私立の学校に通い、裕福な暮らしで‥‥になるのでしょうが、中国では二世であるがゆえに刑務所に入る、ということがあります。習の場合は、少年犯ですね。薄も文革中は苦労しているんですよ。刑務所に入ったり母親が自殺したり……文革という政変がどれほど苦しい時代だったか、日本人にはなかなか理解できないと思うのですが……。二世だとか、派閥だとか、そういった単純なことでは本当に解き明かせない国だと、僕は思います。
──胡錦濤から習近平へ政権が変わりますが、どういった変化が考えられるでしょうか?
富坂氏:僕は、あまり変わらないと思います。変わらないというのは、共産党の中で差が生まれるということではなくて、共産党が自分たちの権力を奪われないために何ができるか、やれることもやるべきこともわかっている、ということです。抱えている問題は非常にわかりやすいのですが、何年かかっても解けない数学の問題のようなもので、誰がやっても解けない。もし、薄みたいな人が出てきて国を一度ひっくり返すという決断をするならば別の意味で展望は見えるかもしれませんが、そうではない限り、いまの、これからの政権には解けないんじゃないでしょうか。ともかく、苦しい国家運営になることは間違いないと思います。
習の大きな課題は、反日デモでも少し見えましたけれど、将来に対して展望のない人たちを、いかに抑えつけるか、に尽きます。本格的な再分配ということにメスを入れない形で、いかにその人たちを騙すか。でも、騙せないところまできているのかもしれない。政権の後半は、騙しきれないんじゃないかと思います。
つまり、共産党の問題を、どうソフトランディングさせるのか、というのが一番の問題でしょう。ですから、専ら国内の封じ込めに必至にならざるを得ない。これは変な意味で、民主化なんですよね。全責任を独裁政権が負うと首をくくるしかありませんが、民意の元で生まれた政権ということになれば、それはそこまでの責任は必要ないですよね。少しでも弱みを見せれば、共産党の責任を追及される。共産党の責任を追及するという問題を、いかに民間と一体化させるか、が問われていくと思います。
政治は、前政権のやったことより新しいことを打ちださなければ無能だと言われるし、変えすぎると前政権を否定することにもなる。政治って本当に難しいです。幼なじみで気心が知れていてもイスがひとつしかなければライバルになる。仲がいいから同じ派閥、というわけではないですからね。