More than 100 Japanese newspaper reporters, television reporters, and camera technicians chased him around during spring training in 2001 looking for clues about how things would turn out. They wrote about everything. What he ate. Where he went. They spilled thousands of words just on his batting practices. Some reporters were assigned just to count the number of times Ichiro swung the bat.
「100人を超える新聞やテレビ局の記者、カメラクルーたちが2001年の春季キャンプでイチローを追いかけまわし、どんな成績を残すのか予測するための手がかりを探した。記者たちはすべてを書いた。何を食べたか。どこに行ったか、まで。単なる打撃練習について長文の記事を書き散らした。イチローが何回バットを振ったかを数えるためだけにきた記者もいた」
もう一人の日本人選手は?
大リーグ史上、メディアからこれだけ監視された選手はいないと本書はイチローに同情する。イチローより6年早く大リーグにきた野茂英雄が、イチローに近い状況だったと記す。しかし、試合に連日出るイチローと、投手で登板間隔のある野茂とでは、マスコミから受けるプレッシャーの量はイチローのほうが大きかっただろうと配慮する。
米国で黒人差別が根強かった時代にあったニグロリーグに、イチローが強い関心をもっていた事実も紹介している。ニグロリーグで活躍した著名人が06年に死去した際、ニグロリーグ博物館にイチローが大量の花束を贈り弔意を示した。後日、ニグロリーグ博物館を訪れたイチローはその場で小切手を渡し多額の寄付もしたという。社会の根底に人種差別が残る米国で、イチローもマイノリティとしてなにか考えることがあったのだろうか。イチローの口から本人の思いを聞きたいところだ。
それでは、ベスト100に選ばれたもう一人の日本のプロ野球選手はだれか。まず、自分なりに推測してみるのも面白いだろう。ちなみに、ランキングは85位だ。
選ばれたもう一人は王貞治だ。アレックス・ロドリゲス(16位)、バリー・ボンズ(3位)ら大リーグのホームラン打者が高い評価を得ているのに比べ順位が低い印象は残る。しかし、日本のプロ野球界でしか活躍しなかった王貞治をランクインさせるあたり、本書のベースボールに対する愛情を感じる。王に関する解説文も、その生い立ちや一本足打法が生まれた経緯なども丁寧に記す。次のように、書き出しの一文からして魅力的だ。
Our story about Sadaharu Oh begins not with the great man himself but with a baseball player you almost certainly do not know. His name was Hiroshi Arakawa.
「王貞治についてのストーリーは王自身ではなく、ほとんど無名の野球選手の話から始まる。彼の名は荒川博だ」
読売巨人軍のコーチとして王貞治に一本足打法を指導した荒川博だ。プロ野球選手としては生涯打率2割5分1厘という平凡な成績しか残さなかった荒川だったが指導者として大きな足跡を残した。その荒川と合気道との出会い、合気道とはそもそも何か、という説明から始めている。
同じ巨人軍に長嶋茂雄という花形プレーヤーがいて、若いころの王は長嶋の人気にはなかなか及ばなかった事情なども漏らさず記す。また、王の1シーズン55本というホームラン記録が後年、日本球界で神格化され、敬遠四球により記録更新を阻まれた例が相次いだことにも触れるなど、日本のプロ野球の歴史にも詳しい。
もちろん、王の記録も素直に称賛する。