この6年間、夜間の往診もあり、緊急入院もあり、結構大変ではあった。でも、M医師からも助言はもらえたし、入院ケアでは顔馴染みの看護師とリハビリテーションのスタッフが「笑顔のYくん」の回復を支えてくれた。そうした関わりの中で、私たちのPHCチームも成長できたと思う。ありがたいことだ。
自分の健康は後回しにしていた父親のケアも
私たち家庭医が移行期医療に携わるもう一つのメリットは、家族も容易にケアの対象にできることである。今回の例で言えば、K.I.さんだ。Yさんが生まれてからずっと、彼は自分の健康をかえりみる余裕が心理的にも物理的にもなかったのだ。
6年前にYさんの訪問診療を始めた時に、私はK.I.さん自身の健康についても尋ね、彼に少しずつ自分の健康について私と一緒に考えてもらう時間を設けた。その過程で、「Yのためにも自分の健康のために何かしたい」というK.I.さんの気持ちを確認できたのは大きな収穫だった。
糖尿病と高血圧が見つかったが、それらをコントロールするために、彼はタバコを止めて、家庭血圧を測定し、食事に気をつけてくれるようになった。
――ここで冒頭の5年前の会話に戻る。
「そんなふうに思うんですね。K.I.さん、1年前と比べたらずっと健康になってますよ。まだまだYくんの成長を見守ってほしいです」
「りんごで医者いらず」 K.I.さんは悪戯っぽく笑っていた。
「え、それって、りんごは栄養満点だからそれを食べてれば病気にならず、医者は不要だってことでしたよね。それがどうしたんですか」
「いや、この35年間、辛かったけど、それ忘れようと、うまいりんごを作ることで必死に生きてきた。でも医者いらずなんてことはなかったわけ。先生、ありがとね」
――あの忘れられない会話から5年が経ち、幸いK.I.さんとYくんは今日も元気に生きている。
ちなみに「りんごで医者いらず」にはさまざまなバージョンがあるが、1860年代の英国のウェールズに最初の記載があるらしい。人が病気になることで儲ける医師を揶揄したもので、もっと辛辣なバージョンには「りんごが赤くなると医者が青くなる」というものさえある。英国でもまだ当時は出来高払いだったのだろうと思わせる。診療報酬のあり方についてもまたいずれ話題にしたい。