もう一つは、東京大学の助手になってからの経験だ。私は、英国の総合科学誌『Nature』で1986年、海の誕生を解明した「水惑星の理論」を発表したが、その後、旧ソ連で講演した時のことである。拙い英語での講演だったが、聴衆は熱心に私の話に耳を傾け、終了後、米国人ポスドクらが「感動した」と称賛してくれたのである。しかも、その後の質疑は数時間にもわたって続いた。
彼らが「感動した」のは私の英語力ではない。講演した「中身」そのものである。私はその時、「どんなに英語が拙くても、内容がしっかりしていれば、外国人であろうと必死になって聞く。流暢に英語を話すかどうかは関係がない」ということを実感したものだ。
伝えたい「中身」を考える言語は日本語
今でも米国に行けば当然、英語で話すが、せいぜい、日本語で表現する水準の3割程度でしか話せていないであろう。それでも、「この人の主張は聞くに値する」と相手が思えば、聞いてくれるものだ。これは、日本人同士の会話でもまったく同じである。
また、……
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