2024年11月22日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年2月1日

 だが、その反省に力が入りすぎて日本という文明の強みを見失うことは避けたい。そして日本の強みを生かして新たな産業に進出すべきだ。例えば、ウェブデザインを含めたコンピュータのユーザーインターフェース(UI)のビジュアルなどは、まだまだ日本人の活躍できる分野であると考える。複雑な金融工学にしても、最先端のアルゴリズムなどにしても、日本式に概念をビジュアル化するノウハウを組み立てる中で、技術革新を実現したい。

まさに日本式ジョブ型雇用 現場重視の確かな技術継承

 2つ目は、「正確さ」という概念である。これはビジュアル化されたものだけでなく、時間厳守、不良品排除、耐久性の確保といったテーマも含めて正確さを追求するという姿勢が日本という文明にはある。これは、一種の美学であり、生活様式だとも言える。

 その源流には、美術工芸の伝統を職人自身が継承してきたという歴史がある。西洋にしても、中国にしても、美や品質の判断基準は君主や富豪が一手に握っていた。中国の皇帝が代替わりすると、景徳鎮(けいとくちん)の窯は新皇帝の好みに全てのデザインを変更させられたし、欧州のパトロンは作曲家にわざわざメロディーを与えて変奏曲を作らせたりしたのである。

 ところが日本は違う。絵師には絵師の、刀匠には刀匠の命をかけた誇りがあり、美の基準、品質の基準は彼ら職人から弟子へと直接伝えられた。パトロンは、そうした作品を評価して、評価を吹聴するだけのいわば物言わぬ出資者兼営業マンであった。奈良時代の仏師から、現在のミシュラン獲得シェフに至るまで、品質を生み出す者が品質の定義をし、その品質の生産法を伝承していったのである。

 つまりは現場重視ということであり、日本式のジョブ型雇用がそこにあった。この正確さ、そして美しさを圧倒的な水準で生産し継承する仕組みの中にこそ、日本式の高付加価値生産性回復の鍵があるように思われる。

 一部の天才的なエリートが抽象論の延長で設計を行い、生産は機械や諸外国に外注するという分業主義では生み出せない「日本品質」、こうした文明を21世紀の現在でも競争力を持つように誘導する、そんなマネジメントの再建を望みたい。

分厚い中間層が基盤であり、壁となる

 社会的なものとしては3つ目の特質として、「格差の少なさ」が指摘できる。明治改革の一環として行われた四民平等と国民皆教育に戦後の経済成長が重なった結果、日本は非常に格差の少ない、つまり国民という集団の中に分断や亀裂がない文明を実現した。分厚い中位層を擁する一方で、突出したエリート層は限られており、また貧困層は全体で支えられる程度に抑えられていた。この構造が国力の大きな基盤となっていた。

 一方で、現在は、日本経済の全体が成長力を失う一方で、日本語と紙に縛られた事務作業や、デフレ経済の結果として対価が崩れたサービス業では多くの中間層の労働力が低生産性に喘いでいる。基礎能力が高く、忠誠心も誠実さも判断力も備えた人材が、対価の少ない作業にひたすら消耗している。これは民族の悲劇とすら言える。

 一連の改革論議の中では、こうした中間層に対する視線は冷たい。海外に飛躍したり、シリコンバレーに対抗できるエリートの育成が叫ばれる一方で、現政権は「福祉とサービス」を充実させることで分厚い中間層の復権を目指すという悲観論に立っている。言うまでもなく、当面の日本経済の支払い能力と高齢化の進行する現状では福祉労働に多くの対価を支払うことは難しい。


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