2024年11月22日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年2月1日

 その一方で、現在残っている膨大なオフィスワークつまり事務作業も、やがてデジタルトランスフォーメーション(DX)により効率化されるだろう。では、中間層の基礎能力を生かし、現在のデフレ労働を脱して中付加価値の知的労働集団に再編するにはどうしたらいいのだろうか。

日本語と英語を使い、世界と戦え

 人口減により日本の国内市場の縮小は避けられない。したがって、市場は海外に拡大させるのは必然となる。そこで必要となってくるのが、国際共通語としての英語である。日本の中間層が復権し、国民全体が断絶のない集団として力を発揮するには、この問題は避けて通れない。

 ほぼ英語圏であったインドやシンガポールだけでなく、北欧やイスラエルがそうであるように、特色ある文明を持った準英語圏は、世界経済の中で独特の立ち位置を獲得している。アジアでは韓国もそのレベルに入ろうとしている。

 日本も、中間層が日英両語に対応することで、中付加価値の労働を生み出し、全体的な経済の拡張を図らねばならない。反対に、この問題を避けていては日本は国際化に対応できる層とできない層に分断され、格差の拡大する中で不安定な社会となってしまうであろう。

 例えば職人の生み出すクオリティを、英語のできる人材がメッセージやサービスを乗せて世界に売っていくことで市場は全世界に広がる。来日した観光客へのサービス提供も、英語であれば世界基準の対価が得られるであろう。会計や法務の事務仕事も、英語で対応できれば補助的な業務であっても国際的な基準での対価、恐らく円建てでは現状の3倍近い収入が期待できるであろう。

それでも、日本語は捨ててはならない

 最後に1つ確認しておきたい。それは日本人は日本語を捨ててはならないということだ。抽象概念をビジュアル化する能力、職人が誇りを持って正確で高品質な創造を伝承するシステム、そして分厚い人口に対して高い基礎能力を与える教育、その全てが日本語と密接に結びついているからだ。

 例えば日本の食文化において重要な「旨味」という概念は、どうしても日本語でしか表現できない。また日本のビジュアル文化が反映したスチールや動画の撮影技術において、背景を焦点から外す「ボケ」というのも日本語にしかない概念だ。つまり、ノウハウが文化として深まり、日本語として結晶しているのである。この2つの言葉は、そのまま「umami」や「bokeh」という語彙として世界で受け入れられているのがその証拠だ。

 日本経済を衰退から救い、個々人の収入と生活水準を向上させるには英語はマストである。だが、同時に日本語の豊かな表現力には、そのまま日本文明の強みが凝縮されている。この点を踏まえつつ、日本という文明の弱点を意識して修正する改革と同時に、日本に独自の長所を使って、優秀な国民がもう一度高い付加価値の創造に関与できるようにすることが肝要だ。

 もう一度申し上げる。犠牲を伴う厳しい改革は不可避だ。だが、それは浅薄な欧米化では断じてない。

 
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 日本人は日本語を軽視し過ぎている──。国際化が進む今、育むべきは国語力だ。それこそが激動の時代、日本の立ち位置を確かなものにしていくことにつながる。
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