茶器オタメーカー・宗久
話は戻るが、武野宗瓦との茶器をめぐる争いをその茶器によって見事に乗り越え、その上「多分の代金」までせしめた宗久。その腕は、他のシーンでも凄みを見せた。
天正2年(1574年)12月20日、堺の老舗豪商・天王寺屋を号する津田宗及のお昼の茶会にただひとりの客として乗り込んだ宗久は、宗及にこう告げた。
「信長様が住吉屋の宗無さんがお持ちの松本茶碗を欲しがっておられますんや」。彼の説明では、すでに信長は買い上げを命じる朱印状を側近の菅屋長頼に渡しているという。
住吉屋宗無は松永久秀の庶子ともいわれる豪商茶人。松本茶碗というのはかつて中国地方の大々名・大内家や三好長慶の弟の安宅冬康も所有していた名物茶碗で、5000貫という評価を受けていた。
曜が5つ有ったというが、曜変天目のような星模様のことだろか。だったら、現代の価値で4億円程度というのも頷けるよね。何しろ現存の曜変天目茶碗は何十億円もの価値があるというんだから。
この松本茶碗を、信長が欲しているという話を宗久が津田宗及のところに持ち込んだのは、たぶん宗久自身が信長に松本茶碗をコレクションにお加えなさいませ、と吹き込んでその仲介役を買って出たのだと思われる。そういうマメさが権力者に取り入る政商には必要なのだ。宗無に近しい大物・宗及をまず口説き落として、松本茶碗を手放さざるを得ない状況に持っていこうとしたのだろう。
信長に近い宗久の申し入れを、宗及としても無視する訳にはいかない。しかも宗無への代金は後払いという条件で、どうやらごく近い内にくだんの朱印状を携えた使者が堺に乗り込んで来るという。慌てた宗及は早速翌日から堺の有力者たちと相談を開始した。
結局、宗及は堺商人2人から借金してその担保として家宝の茶道具「台子四飾(だいすよつかざり。茶を点てる棚の下に飾る釜・水指・柄杓立・建水の4点セット)」を預け、宗無に立て替え払いした。宗及にそこまでさせて、宗久ってば悪い人。
だが、宗久が信長を立派な茶道具オタクに仕立て上げた結果、やがて名物茶器の下賜や茶会開催の権利を付与する織田家の「御茶湯御政道」へとつながっていくのだから、宗久の存在はいろんな意味で大きかった……。
『信長公記』(角川文庫)
『今井宗久茶湯書抜 静嘉堂文庫蔵本』(渡辺書店)
『茶道古典全集』(淡交社)
『武野紹鷗 茶の湯と生涯』(矢部良明、淡交社)
『増訂織田信長文書の研究』(奥野高廣、吉川弘文館)
『茶会記の風景』(谷晃、河原書店)
『堺市史』
『堺市史続編』