各国の制裁を背景に、侵略開始から3月上旬にかけてロシアの通貨ルーブルは対ドルレートで急落した。民間企業の株式もロシア国内では取引が停止され、海外市場に上場している企業の株価は暴落。債権も売られ、ロシア市場は「トリプル安」の状況に陥った。
さらに制裁でロシア中央銀行が外貨準備の約半分を利用できなくなったことで、外貨建ての国債の利息や元本支払いができなくなり、ロシアがデフォルト(債務不履行)するとの観測が急激に強まった。
プーチン大統領は3月5日、ロシアに制裁を科す「非友好国」に対し、外貨建て国債に関わる支払いをルーブルで行えるようにする大統領令に署名するなど、強行突破の構えをみせた。しかしロシアがルーブル払いに踏み切れば、格付け会社からデフォルトと認定されることが確実で、3月中旬の利息払いは結局ドルで行われた。
何らかの手元資金を活用したとみられるが、ロシアは年末までに利息や元本償還で40億ドル超の支払いを迫られており、いずれデフォルトは避けられないとみられている。
ソ連崩壊時の苦い記憶
プーチン政権がドル払いに応じた事実からは、1998年に起きたデフォルトを絶対に再来させたくないとの政権の強い危機意識が伺える。
ソ連崩壊後の90年代、ロシア社会は大混乱に陥り、人々は貧困にあえいだ。
支払われない給与。生活できない年金。高齢者らは真冬でも路頭に立ち並び、家財道具などを売って糊口をしのいだ。夜の街ではマフィアが風を切って歩き、治安は悪化の一歩を辿った――。これがロシア人の持つ90年代の苦い記憶だ。
芽吹いたばかりのロシアの民主化を支えようと、国際社会は金融面を含めさまざまな形でロシアを支援した。しかし、短期国債の乱発で借金の返済のために借金を重ねる状況が続き、97年の世界的な金融危機の波がロシアに辿り着いた途端に財政は行き詰り、政府は98年8月にデフォルトを宣言した。
市民は高利をうたった銀行になけなしのお金を預金していたが、銀行が突然破綻し、資産を失った。当時のエリツィン政権への国民の信頼は消え失せた。同様の事態が今、プーチン政権にも近づきつつある。
ロシア社会はまた、輸入品の急減による物価のさらなる上昇や、生活環境の悪化が避けられない。
ロシア経済の特徴のひとつは、消費財や生産財の多くを輸入に頼る構造にある。ソ連末期には経済が欧米から著しく立ち遅れ、さらにソ連崩壊で多くの産業が破綻し、軍事や宇宙開発などを除けば、ほとんどの分野で競争力を失った。
2000年代以降は資源価格の上昇で財政が改善し、海外からも潤沢に製品が輸入できるようになったが、製造業の競争力は高まらなかった。ロシア経済が輸入品に大きく依存するのは、このような事情がある。
しかし今回の危機で、そのような製品を供給してきた海外企業はロシアから次々と撤退し、ロシア企業も海外との取引を打ち切られた。
さらにルーブルの暴落は、すでに海外製品の輸入を困難にしている。14年のウクライナ危機前に1ドル=約30ルーブルだった為替レートは3月7日には、約140ルーブル前後にまで下落している。モスクワの街中では、輸入品の値段が上昇し続けているために、値札が貼れない状態に陥った。
資産価値がある輸入品の価格上昇は特に顕著で、「フォルクスワーゲンがポルシェの値段で売っている」と市民は皮肉っている。