たとえば好調を維持してきたミャンマー、カンボジア、ベトナムにおける繊維産業にしても、中国が主たる原材料の仕入れ先であっただけに、先行き不安は隠せそうになかった。新型コロナ禍に翻弄される各国政府に、低迷する経済活動へのテコ入れというさらなる負担が重くのし掛かる。常識的に考え、シンガポールを除いたASEANの他の9カ国に十分な財政的余裕は期待できない。これ以上の負担には耐え難いし、社会不安の高まりは容易に想像出来た。
このような緊急事態に際し、この地域に深く関わってきた日本なり米国が援助の手を差し伸べる。これが従来のパターンであったはずだ。だが当時は、日本も米国も新型コロナ感染の猛威を前にして一歩も二歩も踏み込んでまでして援助するだけの余裕はなかった。
習政権は、その虚を衝いたのである。
中国式ゼロ・コロナ政策の成功によっていち早く経済を回復基調に乗せることに成功した習政権は、関係各国の繊維産業に原材料を送り込む一方、「新型コロナ外交」「ワクチン外交」とも呼ばれる外交攻勢に打って出た。アメリカ外交政策評議会『ナショナル・レビュー』(3月27日号)の「中国共産党政権は新型コロナのパンデミックに関して、放火犯と消防士の両方の役割を果たしている」との攻撃を逆撫でするかのように、「善隣友好」や「人類運命共同体」を全面に押し出しながら、ASEAN諸国への医療支援を積極展開する。
3月21日のフィリピンへの医療資材(ウイルス検出試薬・医療用マスク・医療用防護服など)の提供を皮切りに、次いで3月23日にはカンボジアへ医療専門家チームが派遣された。3月26日のミャンマーへの医療器材の贈与に続き、ラオス(3月29日)、フィリピン(4月5日)、ミャンマー(4月8日)と立て続けに医療専門家チームと大量の医療器材が送り込まれたのであった。
21年に入り中国はタイ向けに大量のワクチンを送っている。これに対し米国も日本を巻き込み遅まきながらワクチンの提供を試みるが、やはり先行を許してしまっている以上、影響力の逆転は至難と言わざるを得ない。
「中国の裏庭化」進行にも寄与
凍てつく雪の寒さに苦しむ者に炭を送り届け援助する。中国では「雪中送炭(雪の中に炭を送る)」と表現し、苦境に苦しむ者に対する善行と称える。好意的に受け取るなら、習近平政権が進めたASEAN諸国への「雪中送炭」は、「善隣友好」や「人類運命共同体」の実現を目指した素朴な善隣外交と見なすことも出来る。
だが、外交を費用対効果で勘案した政策科学の一部門と考えるなら、中国側が見返りを期待せずに「雪中送炭」を進めるはずもない。東南アジアにおける米国の影響力のさらなる低下に加え、この地域における一帯一路完遂のための環境整備を狙っていることは明らかだった。
そういえば20年3月にはASEAN10カ国首脳を米国に招いて米トランプ大統領との首脳会談が予定されていたはずだが、新型コロナ問題もあってか、いつしか立ち消えになっていた。もっとも、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領などは最初から出席拒否を表明していたわけだが。
一帯一路に関するなら、遅々とした歩みを繰り返しながらも、予定通りに21年12月には雲南省の省都・昆明とラオスの首都・ヴィエンチャンとを結ぶ「中老昆万鉄路」が完成している。22年に入って、タイからは同路線を経由しての農産物の中国向け輸出が試験的に始まった。同路線が、この地域を物理的に中国に近づけていることは確かだ。
中老昆万鉄路はメコン川を越えて対岸に位置する東北タイ要衝のノンカイを経た後、タイ国内を一気に南下しバンコクに接続される計画であり、すでにタイ側ではノンカイ=バンコク間で中国仕様による鉄道敷設工事が遅々とした歩みながら進められている。なお、バンコクからマレー半島を南下しマレーシアの首都・クアラルンプールを経てシンガポールに至る路線建設も、関係諸国の間で紆余曲折の交渉が続く。