ウクライナ危機に関しては、22年4月2日に安徽省で王毅国務委員兼外相と会談した際のタイのドーン・ポラマットウィナィ副首相兼外相の発言――「ウクライナ問題に対する中国の客観公正な立場を賞賛し支持する」――に象徴されるように、ASEAN10カ国において中国の姿勢に明確に異を唱え、欧米を主軸とする鮮明な反プーチン路線に与する政権は見当たりそうにない。
こう見てくると、東南アジアの「中国の裏庭化」への動きは習政権下で一層進んだと見なすべきであり、習政権の「外交的資産」を拡大させている。その原動力が中国式ゼロ・コロナ政策であると敢えて指摘しておきたい。
揺らぎ始めても変えられない習近平
武漢市で新型コロナ感染が認められて以降の中国の歩みを俯瞰すると、習政権が推し進めてきた中国式ゼロ・コロナ政策が奏功し、国内外における影響力拡大をもたらしたことは否定しようがない。直近の2年余の習政権の内外政策の成果の多くは、中国式ゼロ・コロナ政策の成功に負うところが大と考えられる。だが新型コロナの〝逆襲〟を受け、肝心の中国式ゼロ・コロナ政策が揺らぎ始めたのである。
改めて厳格な行動制限を伴う過重な負担を国民に強いる中国式ゼロ・コロナ政策を考えるに、財政面のみならずマン・パワーの面でも膨大なコストを必要としていることは容易に考えられる。全土に張り巡らされた最新ITシステムを活用しようとも、である。
加えるに国民にのしかかるストレスは計り知れない。すでに人々は「木は動かすと死ぬが、人は動かすと活き活きする」(余華『兄弟』、文藝春秋、10年)ことを知ってしまった。であればこそ国民を、心の中にまで厳格な行動制限を強いていた毛沢東時代と見紛うような環境に引き戻すことは至難だろう。
成功体験の虜になり、コスト感覚を無視して恣意的に政策を強行する独裁者の姿は、古くは50年代末期に大躍進に突き進んだ毛沢東から近くはウクライナ制圧に血道を上げる露プーチン大統領まで、数え上げたらキリがない。大躍進の惨劇からの立ち直りに要した時間とコスト、それに国民的努力が筆舌に尽くし難かったことは、いまや明らかだ。
ここで、かねてから抱いていた疑問が突然氷解した。それは「われわれは永遠に覇権を唱えない。永遠に超大国にはならない」との「毛主席の遺志」である。どうやら毛沢東は「永遠に覇権を唱え」、「永遠に超大国」であり続けるためには国民が耐えられないほどの膨大なコストを必要とすることを、自らの体験を深刻に振り返る中で猛省したのではなかったか。であればこそ習国家主席には、いまこそ「毛主席の遺志」を拳々服膺(けんけんふくよう)することを強く勧めたい。