ドミトリチェンコの両親は双方とも有名なフォークダンサーだった。9カ月前のテレビインタビューで彼は笑顔でこう語っていた。
「僕は小さい頃、サッカー選手になりたかったんだけど、母親に説得させられダンス学校に無理矢理、通わされた」
両親のDNAを受け継いだダンサーとして最適の体格と才能は、すぐに指導者の目にとまった。19才でボリショイ・バレエ団に抜擢。「フラメンコ」や「白鳥の湖」、「スパルタクス」など年に3、4回の公演で主要な役回りを演じ、世界最高峰のバレエダンサーとしての輝きを高めていった。
そして、昨年、ボリショイの名振り付け師、ユーリー・グリゴロービッチが作った「イバン雷帝」での役回りは、ドミトリチェンコの当たり役と言われ、批評家の評価を集めた。仲間はこうも言った。
「このまま普通に公演を重ねれば、すぐに(トップダンサーの称号の)プリミエルになれたのに」
「白鳥の湖」をめぐる呪い
ドミトリチェンコと関係が深かった女性バレリーナの存在にもスポットがあたった。上から数えて4番目の称号になる「ソリスト」のアンジェリーナ・ボロンツォバ。多くの団員が2人は男女の関係にあったと証言した。
地方都市で才覚を現したボロンツォバを見いだしたのはそもそもフィーリンだった。もう一つのバレエの殿堂「ダンチェンコ劇場」の芸術監督をしていたフィーリンが当時、ボロンツォバをスカウトしたが、彼女自身は固持し、ボリショイ・バレエ団に入団した。そうして、フィーリンのライバルのツィスカリーゼの教え子となった。
ロシアメディアは、美しき才能豊かなバレリーナをめぐるフィーリン、ツィスカリーゼ、ドミトリチェンコの関係に光を当てた。
ボリショイに戻ってきたフィーリンは、ボロンツォボを冷遇したのだという。ツィスカリーゼはそんなボロンツォボをかばい、フィーリンと対立した。
そして、昨年12月、ボロンツォボが、名作「白鳥の湖」のオディット(白鳥)とオディール(黒鳥)の1人2役の主役を演じてみたいとフィーリンに持ちかけた。
しかし、フィーリンは「鏡を見てみろ。誰がオディットだって?」と即座に断ったのだという。
露有力紙イズベスチヤにはこんな関係者の証言が掲載された。
「事件の主な動機は、自分のパートナーへ否定的な態度を取り続けるフィーリンに対する敵意だった。ドミトリチェンコは、フィーリンはボロンツォボのキャリアを邪魔し、重要な役柄に登用しないとぼやいていた」