今年1月に発生し、ロシア社会を騒がせていたボリショイ・バレエ団芸術監督襲撃事件は急展開を遂げた。
7日、モスクワ市内の裁判所で開かれた公判。本来なら9日後に控えたボリショイ劇場での公演の練習に励んでいたはずのベドゥシーソリスト(準トップダンサー)、パーベル・ドミトリチェンコ(29)は、法廷の格子部屋の中で落ち着かないそぶりを見せた。細身のバレエダンサーは、ステージで見せる華麗な舞いの面影は一切なく、ぼさぼさの髪と無愛想さをさらす犯罪者の顔そのものだった。
容赦なく取材陣のカメラが向けられた。輝かしいスターの座から崖を転げ落ち、懲役12年をくらう可能性のあるドミトリチェンコは捜査官の前で力なく証言した。
「私が犯罪を指示した。でも、実際に起ったほどの指示ではなかった」
レポーターは、拘束劇から2日が経ち、疲れ果てた表情のドミトリチェンコの一挙手一投足を報告した。法廷には、ドミトリチェンコたちの同僚たちもかけつけていた。レポーターはこう言った。
「ボリショイのダンサーや音楽家たちは信じられない思いでドミトリチェンコの言葉を聞いていました」
この日、ボリショイは世界に名だたるロシア芸術の殿堂ではなく、230年の劇場史の中で「最も残虐な事件」と言われたスキャンダルの伏魔殿と化した。
雪降る中の硫酸襲撃
今年1月17日深夜、ボリショイ・バレエ団の元トップダンサーで2年前から、芸術監督に就いていたセルゲイ・フィーリン(42)が何者かに襲われた。
帰宅時のマンション入り口で突然、覆面姿の「見知らぬ男」が近づいてきた。外気は氷点下15度以下。小雪舞う中で、「お前がフィーリンか」と呼びかけれ、振り返ると、男は持っていた瓶の中身を振りかけ、現場から逃走した。
透明の液体に焼けるような熱さと痛みを感じたフィーリンは、次第に視力がぼやける中でなんとか携帯電話で妻に助けを求めた。
液体の主成分は硫酸だった。フィーリンは重度の火傷を負い、収容先の救急病院で手術を受けた。最もひどい負傷部位は両目。事件直前まで、世界最高峰の舞台で公演に臨むダンサーたちの踊りをチェックしていた熟練のまなざしは、失明寸前に追い込まれた。